少年のことを言った寵姫の首であった。
 秋壑はある時、数百艘の船に塩を積んでそれを販《ひさ》がした。すると詩を作ってそれを謗《そし》った者があった。
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昨夜|江頭《こうとう》碧波《へきは》を湧かす
満船|都《すべ》て相公の※[#「鹵+差」、279−16]《しお》を載す
雖然《たとい》羮《こう》を調《ととの》うるの用をなすことを要するも
未だ必ずしも羮を調《ととの》うるに許多《おおき》を用いず
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 秋壑はそれを聞いて、その詩を作った士人を誹謗《ひぼう》の罪に問うて獄に繋《つな》いだ。
 秋壑はまたある時、浙西《せつせい》に於て公田《こうでん》の法を行うたが、人民がその悪法に苦しんだので路傍へそれを謗った詩を題した者があった。
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嚢陽《じょうよう》累歳《るいさい》孤城《こじょう》に因る
湖山に豢養《けんよう》して出征せず
識らず咽喉《いんこう》形勢《けいせい》の地
公田|枉《ま》げて自ら蒼生《そうせい》を害す
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 秋壑は怒って誹謗者を遠流に処した。
 秋壑はまたある時、千人の僧に斎《とき》をした。僧は皆集まってきてその数が既に満ちた。ぼろぼろになった法衣を着た道士がその後からきた。
「私も斎に与《あずか》りたい」
 家の者は道士の前へ往って断った。
「もう千人に足ったから、斎をする訳にゆかない」
「それでも、わざわざやってきたものじゃ、すこしでもして貰いたい」
 家の者はしかたなく一鉢の食物を持って往って道士にやった。道士はその食物を喫《く》って空になった鉢を案《つくえ》の上に覆《ふ》せて帰って往った。
 家の者はそれを持って往こうとしたが、鉢が案にくっついて動かない。しかたなしに五六人で、力を合わして取ろうとしたがそれでも動かなかった。
 秋壑は奇怪な報らせを聞いて出てきて、ちょっと手をやると何のこともなしに取れてしまった。その鉢の下に紙片があって「好く休する時を得て即ち好く休せよ、花を収め子《み》を結んで錦州に在り」という詩句が書いてあった。
「乞食坊主が悪戯《いたずら》をしてある」
 秋壑は嘲笑いながら入って往ったが、その二句の文字に彼の未来が予断せられていた。彼は間もなく失脚して循州に謫《たく》せられたが、障州の木綿庵《もくめんあん》に着いて便所へ往こうとする所を、鄭虎臣《ていこしん》という者のために拉殺《らつさつ》せられた。
 ある時、一人の船頭があって蘇※[#「こざとへん+是」、第3水準1−93−60]《そてい》に舟がかりをしていた。夏の暑い盛りで睡られないので、起きあがって窓の所に顔をやり、見るともなしに舟の著いている磧《かわら》の水際の方へ眼をやった。尺に足りないような不思議な人間が三人いた。船頭は眼を瞠ってそれを覗いていた。するとそのうちの一人の声がした。
「張公が来た、どうしたらいいだろう」
 すると他の声が言った。
「賈平章《こへいしょう》は、仁者でないから、どうしても恕《ゆる》してくれないよ」
 すると、また他の違った声がした。
「乃公《おれ》はもう万事休すだ、お前さん達は、乃公のやられるのを見るだろう」
 隠々と泣く声が聞えてきたが、やがて三人の者は水の中へ入って往った。
 その翌日、漁師の張公という男が、蘇※[#「こざとへん+是」、第3水準1−93−60]で一疋の※[#「敝/龜」、282−3]《すっぽん》を獲ったが径《さしわたし》二尺あまりもあった。漁師はそれを秋壑の第《やしき》に持って往って売った。秋壑の失敗はそれから三年にならないうちに作《な》った。
 少女はそれからそれと秋壑のことを話した。趙源はその話を聞いた時にこんなことを言った。
「人はそれぞれ数がある、あなたとこうしておっても、その数が尽きると別れなくちゃならない、それともあなたには、普通の人でないから、最後まで私といっしょにおることができますか」
「私でも、その数を逃れることはできません、三年すれば、私の数も尽きます」
 少女はこう言って悲しそうな顔をした。
 三年すると女は体が悪いと言って床に就いた。源は医者にかけてよいものならかけたいと思ったが、女は承知をしなかった。
「もうあなたとの縁がつきて、お別れする時になりましたから」
 女は源の臂《ひじ》を握った。
「ながなが御厄介をかけました、私はこれで前世の思いを果しましたから、思い残すことはありません、これでお別れいたします」
 女は顔を壁の方に向けたままで歿《な》くなってしまった。源は棺桶を買ってきて泣き泣き女の死骸を中に納めて送り出そうとしたが、棺は空の時の重さと少しも変らなかった。不思議に思って蓋を開けてみた。中には衣衾釵珥《いきんさいじ》があるのみであった。
 源はやがてそれを北山の麓に
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