きたいね」
「所なんかいいじゃありませんか、今にすぐわかりますよ、眼と鼻の間にいる者ですから」
源はふとこの女は付近の豪家に仕えている侍女でないかと思った。そう思うと双鬟に結うた髪にそれらしい面影があった。
源はある晩酒を飲んでいた。そこへ少女が入ってきた。源は少女の衣服に指をさした。
「緑の衣あり、緑の衣に黄の裳《もすそ》せり」
と詩経の句を歌うように言ってから、
「これはあなたのことさ」
源は面白そうに笑った。少女は顔を赧《あか》くして俯向いてしまった。詩経の句は婢妾《ひしょう》のことを歌ったものであった。源は少女の気に障ったと思ったので、すぐ他のことに話を移してしまった。
少女はその翌晩から源の許へ姿を見せなかった。そして五六日して来た。
「何故あなたはこなかったのです、どんなにあなたを待ったか知れませんよ」
少女を待ち兼ねて懊悩《おうのう》していた源は、少女の顔を見るなり恨めしそうに言った。
「でも、あなたは、この間あんなことをおっしゃったじゃありませんか、私はあなたと偕老《かいろう》を思ってるのに、あなたは、私を、妾のように思っていらっしゃるじゃありませんか」
「いや、あれは、あなたが緑の衣を着ているから、その緑から連想して、あんな冗談を言ったばかしで、決してそんな心で言ったではなかったのです」
「そういうことならよろしゅうございますけども、私はあなたをお恨みしましたよ、しかし、それで、あなたも、私の素性をお知りになったでしょう」
「いや、私には判らない」
「もう時期がきましたから、何もかも申しますが、私とあなたとは、もと識りあっておりました、はじめて識りあったのではありません」
「そんなことがあるだろうか、私には判らないが」
源はどこで知っている女であろうかと考えたが、すぐは思い出せなかった。少女は痛痛しい顔を見せた。
「どうか驚かないで聞いてください、私はほんとうは、この世の者ではありません」
源は少女の顔を見詰めた。
「でも、決して禍をする者ではありません、あなたと私とは、夙縁《しゅくえん》があります」
源は夙縁とはどんなことであろうかと思った。
「それを聞かしてください」
「私は宋の賈秋壑《こしゅうがく》の侍女でございます、もと臨安の良家に生れた者でございますが、少《ちい》さい時から囲碁が上手で、十五の春、棊童《きどう》ということで、秋壑の邸に召し出されて、秋壑が朝廷からさがって、半閑堂で休息する折に、囲碁の相手になって、愛せられておりました、その時、あなたは、蒼頭職主《げなんがしら》で、いつもお茶を持って奥へまいりましたが、あなたはお若くて美しい方でした、そのあなたを私が想うようになりました、ある晩、暗い所で、あなたをお待ちしていて、綉羅《うすぎぬ》の銭篋《ぜにばこ》を差しあげますと、あなたは私に、※[#「王+(「毒」のあしが「母」)」、第3水準1−88−16]瑁《たいまい》の脂盒《べにざら》をくださいました、二人の間は、そうした許し合った仲になりましたが、奥と表の隔てがあって、まだしみじみとお話もしないうちに、朋輩に知られて、秋壑に讒言《ざんげん》せられましたから、私とあなたは、西湖の断橋の下へ沈められました、それでも、あなたは、もう再生して人間になっておりますが、私はまだこうしております」
少女は絶え入るように泣いた。源は少女を抱きかかえた。
「あなたの言うことがほんとうなら、それこそ再生の縁だ、これからいっしょにおって、昔の想《おもい》を遂げましょう」
少女はその晩から源の許《もと》におって、普通の細君のように仕えた。源はその女から囲碁を習ったが、上達が非常に速《すみやか》で、僅の間にその地方第一の碁客《きかく》となった。
少女は時とすると賈秋壑のことを話した。ある時、秋壑は水に臨んで楼で酒を飲んでいた。傍には秋壑の寵姫《ちょうき》が綺麗に着飾ってたくさん坐っていた。欄干の下を一艘の小舟が通って往ったが、舟の中には二人の黒い巾《ずきん》をつけて白い服を著た美少年が乗っていた。それを見つけた女の一人は、
「綺麗な男だよ」
と思わず言った。その言葉が秋壑の耳に入った。
「それほど、あの男が好きなら、それと結婚さしてやろう」
秋壑はこう言って冷たい笑いかたをした。女は秋壑が冗談を言ったものだろうと思って、これも笑いながらやはりその眼を舟の少年の方へやっていた。
やがて酒の座が変った。秋壑はまたそこで盃を手にした。侍臣が一つの盒《はこ》を持ってきた。
「よし、そこへ置いとけ」
侍臣は盒を置いてから引きさがった。
「皆、その盒を開けて見ろ、かの女の嫁入|準備《じたく》が入っている」
傍にいた女の一人がその盒の蓋を開けた。鮮血に汚れた女の首がその中に入っていた。それはかの美
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