して】聞いたかね。
李希梅 これが、【と、袖に手を入れて古い汚い書籍をだして】これがそこに落ちていたのですよ。きっとあの男が淡巴菰を喫む材料に持って来たものですよ。【と、嘲《あざ》けるように笑って】どの話をしたのです。
蒲留仙 周立五《しゅうりつご》が夢に首を易えられ、腹を洗われる話だよ。
李希梅 先生は御存じになってて、黙って聞いていらしたのですか。
蒲留仙 知ってたが、人の頭をとおすと、また面白い味のできるものだからね。
李希梅 でも淡巴菰を喫みに来るために、持って来るいいかげんな話じゃありませんか、あの男はしかたのない奴ですよ。それにありゃ、中国の者じゃありませんよ、あの髪から眼からいっても。
蒲留仙 そうかも判らない、女真《にょしん》あたりの者かも判らないね。
李希梅 そうですよ、どこの者かも判らない浮浪人ですよ。もう、これからあんな者を側へ寄せつけないがいいですよ、ばかばかしいじゃありませんか。【と、手にしていた書籍を投げるように側へ置いて、重重しい顔をして】こう申しちゃなんですが、先生あなたのような学問と文章をお持ちになりながら、こんなことをなされて一生を終られるは惜しいではありませんか。都の方では、今、天下の学者を集めている時じゃありませんか。都の方へおのぼりになれば、先生を用いるところは、いくらでもあるじゃありませんか。
蒲留仙 いや、君のいってくれてる意味は、よく判っているし、非常にありがたいが、わしはどうも性に合わない。わしも若い時は、儒学によって身を立てようと思ったことがあるが、考えてみれば、大官となり大儒となって、一世に名をあげたところで、ほんとうに心から楽しいか楽しくないか判らない。君達は、わしがこうして牛鬼蛇神《ぎゅうきじゃしん》の話を集めているのを見ると、魔道にでも陥ったように思うだろうが、学者なんていう者は、たとえてみれば、夜と昼とのある世の中に、昼だけの単調な世界に一生あくせくとしていて、淑奇恍惚《しゅくきこうこつ》の夜の世界を知らないような者だよ。
李希梅 はい。
蒲留仙 わしは平生も、狐妻《こさい》を獲て、鬼《ゆうれい》とほんとうの友達になったら、どんなに世の中が深くなるだろうと思うよ。
李希梅 は。
蒲留仙 文学としても、わしは、意味があるように思うが、しかし、これはわし一家の意見だから、決して人に強いるものじゃない。【と、い
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