入りちがってはいって来た。
「もう案内者も来ておりますから、お出かけなさるが宜しゅうございます」
小八は風呂敷包の中から着更の単衣《ひとえ》を出してそれを着、手荷物や笠などはその儘にして出かけようとする時、小八の準備《したく》するのを黙って見ていた主翁が口を出した。
「宵にも申しましたとおり、亡者が露われても詞をかけてはなりませんよ」
小八は頷いて店|頭《さき》へ出た。案内する男はもう提灯に灯を入れて庭に立っていた。主翁や婢も店頭へ来た。
戸外《そと》は寂然《ひっそり》として風の音もなかった。小八と案内者は提灯の明りを路の上に落しながら、宿の横手から山路を登って往った。谷川にかけた土橋の下では水の音がざざと鳴っていた。二人は黙って歩いていた。不意に嬰児《あかご》の啼くような声をだして頭の上の方で啼く鳥があった。脚下に延びはびこった夏草の中をがさがさと這う音もした。しかし、小八の耳にはそんな物は何も入らなかった。彼は懐しい女房の姿に接することができると云う喜悦《よろこび》と好奇心で一ぱいになっていた。
路は曲り曲りしていた。路の曲りの樹木の左右に放れた処から見ると、黎明の光を受け
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