てしまいました、ほんとにありがとうございました」
 小婢が主人の横脇でもそもそと体を動かす気配がした。
「私も姐の家に世話になって、日間は親類の薬舗へ勤めておりますので、暇をもらって、やっぱり雨のことは考えずに、来たものですから、ひどい目に逢いました、皆、今日は困ったでしょうよ」
 許宣は気もちをいじけさせずに女と話すことができた。
 舟はもう湧金門の外へ来ていた。小さな白い雨は依然として降っていた。女は何か思いだしたように自分の体のまわりをじっと見た後で、小婢の耳へ口を著けて小声で囁いて困ったような顔をした。と、小婢の眼元が笑って女に囁きかえした。それでも女は困ったような顔をしていた。
「あのね、なんですが」
 小婢の顔が此方を見た。許宣は何事だろうと思った。
「今朝、家を出る時に、急いだものですから、お銭《あし》を忘れてまいりました、誠に恐れ入りますが、どうか船賃を拝借させていただきとうございますが、家へ帰りましたなら、すぐお返しいたしますが」
「そんなことはいいのですよ、私が払いますから」
 舟はもう水際へ著いていた。女はきまりわるそうにもじもじしていた。
「さあ舟が著きました、
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