あがりましょう」
 許宣は腰につけた銭袋からいくらかの銭を取って舟の上に置いた。
「どうもすみません」
 女はそう言って鞋《くつ》を穿《は》いて小婢といっしょにあがって往った。許宣もその後からあがったが、それは赤脚《はだし》のままであった。
 もう日没《ひぐれ》になっているのか四辺《あたり》が灰色になって見えた。女は許宣のあがってくるのを楊柳の陰で待っていた。
「あの、なんですけど、雨もこんなに降りますし、もう日も暮れかけましたから、私の家へまいりましょうじゃありませんか、拝借したお銭もお払いしとうございますから」
 許宣は女の家へも往きたかったが、姐の家に気がねがあるので往けなかった。
「もう遅うございますから、またこの次に伺います」
「そうですか、……それでは、また、お眼にかかります、どうもありがとうございました」
 女はのこり惜しそうな顔をして別れて往った。小婢は包みを持って後から歩いていた。許宣ものこり惜しいような気がするので、そのまま立っていて眼をやると、もう、二人の姿は見えなかった。許宣は気が注《つ》いて船頭に一言二言別れの詞をかけて、楊柳の陰から走り出て湧金門を入り、ぎっ
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