女の顔をはっきりと見たいという好奇心があるのでそろそろと眼をあげた。黒い潤みのある女の眼がじっと自分の方を見ているのにぶっつかった。許宣はあわててまた眼をそらした。
「あなたは、どっちにお住居でございます」
 女は執著を持ったような詞《ことば》で言った。許宣のきまりのわるい思いはやや薄らいできた。
「過軍橋の黒珠巷です。許という姓で、名は宣と言います、あなたは」
「私は白と申します、私の家は白三班《はくさんぱん》で、私は白直殿《はくちょくでん》の妹で、張という家へ嫁いておりましたが、主人が没《な》くなりましたので、今日はその墓参をいたしましたが、こんな雨になって、困っているところを、お陰さまでたすかりました」
「そうでしたか、私の両親も早く没っておりますので、今日は保叔塔寺へ往ったところで、この雨ですから、舟を雇おうと思って、来て見ると知合いの舟がいたので、乗ったところでした、ちょうど宜しゅうございました」
 舟は府城の城壁に沿うて南へ南へと往った。絹糸のような雨が絶えず笘屋根の外にあった。
「家を出る時は、好いお天気でしたから、雨のことなんか、ちょっとも思わなかったものですから、困っ
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