捕卒は別れ別れになって室の中へ入った。荒れ崩れて陰々として見える室の中には、人の足音を聞いて逃げる鼠の姿があるばかりで、どこにも人の影はなかった。別れていた捕卒はいつの間にかいっしょになって、最後の奥まった離屋《はなれ》に往った。そこは一段高い室になって、一人の色の白い女が坐っていた。着物の赤や青の綺麗な色彩が見えた。その女は牀《こしかけ》の上に坐っているらしかった。捕卒は不審しながら進んで往った。
「われわれは、府庁《やくしょ》からまいった者だが、その方は何者だ、白氏なら韓大爺《かんたいや》の牌票《はいひょう》がある、その方が許宣にやった銀のことに就いて尋ねることがあるから、いっしょに伴れて往く」
女はじっと顔をあげたが、何も言わなければ驚いた容子もなかった。
「あのおちつきすましたところは、曲者だ、捉えろ」
捕卒は一斉に走りかかって往った。と、同時に雷のような一大音響がした。捕卒はびっくりしてそこへ立ち縮んだ。そして、気が注いて女の方を見た。女の姿はもう見えなかった。捕卒は逃がしてはならないと思って、今度は腹を定めて室の内へ飛びこんで往った。女の姿は依然として見えなかったが、牀の傍に銀の包みを積みあげてあった。それは紛失していたかの四十九個の銀錠であった。
捕卒は銀錠を扛《と》って臨安府の堂上へ搬んできた。許宣はそこで盗賊の嫌疑は晴れたが、素性の判らない者から私《ひそか》に金をもらったというかどで、蘇州へ配流《ついほう》せられることになった。
一方邵大尉の方では、約束の通り懸賞金五十両を出してそれを李幕事に与えたが、李幕事は義弟に苦痛を見せることによって得た金であるから、心苦しくてたまらないので、牢屋の内にいる許宣に面会して、その金を旅費に与え、李将仕《りしょうし》と相談して、二つの手簡《てがみ》を持って往かすことにした。その手簡の一つは、蘇州の押司《おうし》の范院長《はんいんちょう》という者に与えたもので、一つは吉利橋下《きちりきょうか》に旅館をやっている王という者に与えたものであった。
その日になると許宣は二人の護送人に連れられて牢屋を出た。府庁の門口には李幕事夫婦をはじめ、李将仕などが来て待っていた。許宣は涙を滴《こぼ》してその人びとに別れの詞をかわして出発した。
三日ばかりして蘇州府へ着いた。李将仕の手簡を見た范院長と王主人は、金を使って奔走
前へ
次へ
全25ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング