てそこに四十年いたが、容貌がすこしもかわらないので南海の人が驚いた。開元になって玄宗皇帝が神仙のことに心を傾けて道術を聞きにきたので、煩さがって洞庭へ帰って行った。
 開元の末になって、柳毅の義弟の薜瑕《せつか》[#「薜」はママ]が京畿《けいき》の令となっていたが、東南に謫官《たくかん》せられて洞庭湖を舟でとおっていると、不意に水の中に碧あおとした山が見えてきた。船頭はあすこには山がないと言って怪しんでいると、一艘の綺麗な船が瑕《か》を迎えにきた。瑕がその船に乗って山の麓へ行ってみると、宮殿があってその中に毅が笑っていた。毅は瑕に五十粒の薬をくれた。
「これを一粒飲めば、一年命が増す、これを飲んでしまったなら、また来るがいい、人間の世におって、苦しむには当らない」
 そこで二人は酒を飲んで別れたが、その瑕も後に行方が判らなくなってしまった。



底本:「中国の怪談(一)」河出文庫、河出書房新社
   1987(昭和62)年5月6日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
   1970(昭和45)年発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振り
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