75]川の女が来て坐っていた。夫人は泣いていた。
「今日お別れして、いつまたお眼にかかることができましょう」
毅は銭塘君の言葉を聞かなかったが、女と別れることは苦しかった。毅は燃えるような眼をして女の方を見た。女も悲しそうな眼をして毅の顔を盗み見た。
毅は王宮を出て帰ってきた。十余人の者が洞庭君からの贈物を嚢に入れて随《つ》いてきた。毅はのちにその贈物を持って広陵へ行って宝物の店を開いたが、瞬く間に巨万の富を得て大豪族となった。
毅はそこで結婚することにして、張姓の家から娶ったがすぐ亡くなったので、今度は韓姓の家から娶ったが、これも二三ヶ月してまた亡くなった。
毅はそれから金陵へ移ったが、鰥暮《やもめぐら》しでは不自由であるから、范陽《はんよう》の盧姓の女を迎えた。見るとその女の顔が洞庭の竜女に似ていた。毅は昔のことを思いだして女に竜女の話をして聞かした。一年あまりすると、それに小供が生れた。その小児が生れて一ヶ月ぐらいすると女は毅に向って言った。
「私は、洞庭の女でございます、小児が生れたからほんとのことを申します」
そこで毅は女と連れ立って洞庭へ行った。後、毅は南海に移ってそこに四十年いたが、容貌がすこしもかわらないので南海の人が驚いた。開元になって玄宗皇帝が神仙のことに心を傾けて道術を聞きにきたので、煩さがって洞庭へ帰って行った。
開元の末になって、柳毅の義弟の薜瑕《せつか》[#「薜」はママ]が京畿《けいき》の令となっていたが、東南に謫官《たくかん》せられて洞庭湖を舟でとおっていると、不意に水の中に碧あおとした山が見えてきた。船頭はあすこには山がないと言って怪しんでいると、一艘の綺麗な船が瑕《か》を迎えにきた。瑕がその船に乗って山の麓へ行ってみると、宮殿があってその中に毅が笑っていた。毅は瑕に五十粒の薬をくれた。
「これを一粒飲めば、一年命が増す、これを飲んでしまったなら、また来るがいい、人間の世におって、苦しむには当らない」
そこで二人は酒を飲んで別れたが、その瑕も後に行方が判らなくなってしまった。
底本:「中国の怪談(一)」河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年5月6日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2004年11月3日作成
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