親のことを思いだして、それを伴《つ》れていっしょに往こうと思って表座敷へ往った。
「お父さん、起きておりますか」
 伯父さんが襖を開ける音に眼を覚していた父親は返事をした。
「ああ、伯父さんですか」
「ああ、私ですが、みょうなことがありますから、すこし起きてくれませんか」
「起きましょう、どんなことでございます」
「また来たようです」
「あの芳三でございますか」
 父親は起きあがって蒲団の上に蹲んだようであった。
「そうですよ、また裏門の戸を叩きます、私も往きますから、お父さんもいっしょに往ってくれますか」
「往きましょう」
 父親は起きあがって伯父さんの前に立った。
「それはすみません」
 伯父さんが前《さき》にたって歩くと父親は後から踉いて来た。二人は暗い中を庖厨《かって》の方へ往って其処から裏口へ出たが、二人はもう黙りあって何も云わなかった。気のせいかその晩はわけて暗いように思われた。
 戸を叩く音が聞えた。
「何か用かね、何人《だれ》だね」
 伯父さんは恐ろしそうにかすれた声で云った。
「私でございます」
 微な顫え声が聞えて来た。やはりそれは芳三の声であった。
「芳三か、何かまだ云いたいことがあるか」
「はい、この間は衣服《きもの》から一切私の物を埋めて貰いましたが、まだ家にあった金のことが気になってなりません、どうか金もついでに埋めてください」
「金か」
「金でございます、その金のことが気になって、浮ばれません」
 金と云ってもいくら埋めて好いか判らない、それに医師《いしゃ》や葬式のために非常に入費がかかって、現金があまりないことは判っていた。
「金がいくらあったら好い」
「いくらと云うことはありませんが、五十両くらいあればよろしゅうございます」
「お前の病気や葬式に金が要って、現金はあまり手許にないが、五十両ぐらいならどうかなるだろう」
「どうか願います」
 伯父さんは父親にも相談しなければ悪いと思った。
「お父さん、あれもあんなに云いますから、埋めてやろうではありませんか」
 父親も云うとおりにしてやらねばならないと思った。
「そうでございますとも、そう云うことなら埋めてやりましょう」
 其処で伯父さんが云った。
「それでは、明日、きっと埋めてやるから、安心して迷わないが好い」
「ありがとうございます」
「家のことは決して心配しないが好い、此方へは藤代のお父さんが来ておる、後のことは、皆で、好いようにする、小供も俺とお父さんとで引受けて世話をするから、心配はいらない」
「はい、それではもう往きます」
「どうぞ心配を残さないようにしてくれ」
 父親も泣き声になって云った。
「芳三さん、何も心配することはないよ、藤代と小供は、わしと伯父さんとでお世話をします」
 外ではもう返事をしなかった。
「もう帰ったと見える、やっぱり気にかかる物があると、浮ばれないと見える」
「そうでございますとも」
 二人は泣き声になって話しながら家に入った。

 酒屋ではその翌日五十両の金を持って往って埋めたが、それは悪漢に奪われる恐れがあるので隠していた。しかし、その噂はすぐその町に拡がった。気の弱い者は夜になると酒屋の附近から芳三を葬ってある寺の墓地附近を往来《ゆきき》しなかった。
 その時分のことであった。隣村へ商売に往っていた小商人《こあきんど》の一人が夜遅くなって帰っていた。ちょうど六日比の月が入りかけている時で途は明るかった。町外れの五六本の木の生えた小社の前まで来ると、すぐ路傍に沿うて馬方などが時どき馬を繋いでいる木の根本の暗い処に白い物がちらちらと見えた。小商人は村の壮い男が女とでも待ち合してでもいるのだろうと思って、別に気にもとめずにその前へ往った。
 と、白いものがするすると動いて眼の前へ来た。白い浴衣でも着たような人の姿が見えたので、ふとその顔を見ると、小さな顔の下顎をかくすように大きな舌がだらりと垂れていた。小商人はびっくりして後の方へ逃げようとする拍子にばったり倒れたがそのまま気絶してしまった。そして、暫くして小商人は気が注《つ》いたので夢中になって家へ帰ってみると、首から緒をまわして懐にしっかり入れていた財布が落ちたのか無くなっていた。
 その商人《あきんど》の噂もそのうちに伝わって来た。町の女小供は恐れてますます夜歩きをしなくなった。小商人の噂があってから十日ばかりしてのこと、馬方の一人が米屋から頼まれて馬で米を持って往き、その帰途《かえりみち》に酒を飲んで夜遅く帰って裏町を通っていると、すぐ傍の竹垣の処から白い衣服を着た物がひらひらと出て来て、隻手でその胸倉を掴んだ。馬方がびっくりして見ると、その顔から長い大きな舌がだらりと垂れていた。
 馬方は腰を抜かして馬の手綱を持ったなり其処へつくばってしまった。そし
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