「うん」
監物は不動の木像を見詰めて立っていた。と、その時であった。ばらばらと云う怪しいものの弾ける物音が裏山の方でしはじめた。続いて人の叫ぶ声がした。邸の裏の山林が火を発したところであった。真紅な火は裏山の空に燃えあがって、その焔が風に吹かるる秋雲のように西に東に切断《きれぎれ》に飛んだ。
「旦那、大変、大変じゃ」
臣は手燭の火を落して叫んだ。監物は刀を投げ捨てた。
「甚六、この不動様を戸波へ戻しに往け」
「あれ、あれ、旦那、山火事でございます」
監物の耳へは何事も入らなかった。監物は唸るように云った。
「甚六、甚六、早く不動様を戸波へ戻しに往け」
山林の火は四方へ燃え拡がって山の畝《うね》りをはっきりと映しだした。
「甚六、早く往かんか、甚六」
監物の声はうわずって聞えた。
不動尊の木像はその夜のうちに戸波の積善寺に返して、薬師堂の中へ元のように納めた。そして、その勢では附近の山林を焼き尽さねば休《や》まないように思われた山火事は、案外僅かばかりの焼けかたでこともなく消えてしまった。
余話
大正九年八月某日、土佐を漫遊していた桂月翁と私は、戸波の青年に招かれて須崎と云う海岸町から戸波の家俊へ往った。それは虚空蔵と云うつくね芋の形をした、土佐では人に知られた山に驟雨のくる日であった。
登山の好きな桂月翁は、青年に伴《つ》れられてその山へ二日続けて登ったが、不精者の私は旅館の二階に寝ころがって俳句などを考えていた。その桂月翁が最初に登山した時、「面白い薬師堂へ往って来たよ」と、飯の時に私に話してくれた。で、私もその翌日の朝、桂月翁が小学校の講演をすまして二度目の登山をした後で、三人の学生に案内してもらって、稲の穂の黄色くなりかけた田圃の間を通ってその薬師堂へ往った。小さな丘陵の麓のなだれになった処にその祠があった。その辺は積善寺の寺の名がそのまま残って積善寺部落と云われていた。
祠の中の縁起を書いた脇立《わきだて》は、其処から右の方の山の下に見えていた建物の大きな豪家にあるので、其処から持って来て見せてくれると云うことになっていたから、私達は祠の縁に腰を掛けて煙草を喫みながら話していた。県会議員をしていると云う有志の一人が檮《いちい》の木で作った脇立と、隣村の城主の一族で長宗我部に滅されて其処で自殺したと云う武士の位牌を持って来
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