貧乏神物語
田中貢太郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)劈《さ》いて

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)近|比《ごろ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)※[#「※」は「祿−示」、第3水準1−84−27、144−上−9]
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 縁起でもない話だが、馬琴の随筆の中にあったのを、数年前から見つけてあったので、ここでそれを云ってみる。考証好きの馬琴は、その短い随筆の中でも、唐山には窮鬼と書くの、蘇東坡に送窮の詩があるの、また、窮鬼を耗とも青とも云うの、玄宗の夢にあらわれた鍾馗の劈《さ》いて啖《くら》った鬼は、その耗であるのと例の考証をやってから、その筆は「四方《よも》の赤」に走って、「近世、江戸牛天神の社のほとりに貧乏神の禿倉《ほこら》有けり。こは何某《なにのそれがし》とかいいし御家人の、窮してせんかたなきままに、祭れるなりといい伝う。さるを何ものの所為《しわざ》にやありけん。その神体を盗とりて、禿倉のみ残れり」などと云っているが、屁のようなことにも倫理道徳をくっつける馬琴の筆にしては、同じ堅くるしい中にも軽い味がある。
 文政四年の夏であった。番町に住む旗下《はたもと》の用人は、主家の費用をこしらえに、下総にある知行所に往っていた。五百石ばかりの禄米があって旗下としてはかなりな家柄である主家が、その数代不運続きでそれがために何時も知行所から無理な金をとり立ててあるので、とても今度は思うように調達ができまいと思った。その一方で用人は、村役人のしかめ面を眼前《めさき》に浮べていた。
 微曇のした蒸し暑い日で、青あおと続いた稲田の稲の葉がぴりりとも動かなかった。草加《そうか》の宿が近くなったところで用人は己《じぶん》の傍を歩いている旅憎に気がついた。それは用人が歩き歩き火打石を打って火を出し、それで煙草を点けて一吸い吸いながらちょと己《じぶん》の右側を見た時であった。
 旅憎は溷鼠染《どぶねずみぞめ》と云っている栲《たえ》の古いどろどろしたような単衣《ひとえもの》を着て、頭《かしら》に白菅の笠を被り、首に頭陀袋をかけていた。年の比《ころ》は四十過ぎであろう、痩せて頤《おとがい》の尖った顔は蒼黒く、眼は落ち窪んで青く
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