に慣れている彼女は、燃えあがっている対手の心を撫でつけるようにして、隙を見て逃げようとしたところで、対手は野獣の本性をあらわして、帯の端を掴んで引もどそうとしたのであった。
 お勝は絶体絶命であった。引戻されて対手の一方の手が肩にかかれば体の自由を奪われなくてはならなかった。お勝は引戻されまいとして夢中になって争った。その機《はずみ》に帯の結び目が解けた。黒繻子の帯の一方は暴漢の手に掴まれたなりに、痩せぎすなすっきりしたお勝の体はくるくると月の下に廻った。お勝の体はみるみる暴漢と二三尺離れたが機《はずみ》を喫《く》って膝を突いた。お勝は襲いかかってくる暴漢を払いのけるように、隻手をその方にやって一方の手で起きようとした。面長な色の白いお勝の顔が艶かしかった。暴漢は帯を捨てて迫って来た。
「なにをさらす、この無法者」
 物凄い怒り立つ声がして暴漢の前に枴が閃いた。暴漢は立ち縮《すく》んだ。
「きさまは、地下《じげ》浪人じゃな、俺の家の嫁をどうしようと云うのじゃ」
 背の高い短い刀を差した暴漢は、手習師匠をやっている林田与右衛門と云う浪人であった。林田はぎょろりとした眼で対手を見た。何時も
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