せんか」
「狸か何かだろう、そのうちには、豪《えら》い目に逢してやるぞ」
朝になって女房が台所の方へ往った後で、益之助は何時ものように雨戸を開けたが、宵の物干竿のことが頭にあるので開けながら庭の方を見た。もう物干竿は影も形もなかった。
「ほう」
と、云って益之助は眼を※[#「※」は「目へん+爭」、10−16]《みは》ったが、すぐ思い返して笑いだした。
雨戸を開けてしまった後で、益之助は玄関からおりて家の西側へ廻ってみた。桃の木や柿の木が生えて、その嫩葉《わかば》に出たばかりの朝陽が当っていた。簷下を見ると物干竿は平生《いつも》のように釣るされていた。益之助はまた嘲笑った。
朝飯の膳に向ったところで女房が物干竿のことを云いだした。女房もやっぱり気になっていたので、井戸の水を汲みながら家の西側の簷下を覗いていたのであった。
「お庭の方に、まだ有りましょうか」
「無い無い、あるもんか」
益之助はこう云って大きな声で笑った。そして、飯が済むと平生《いつも》のように藩庁へ出て往って夕方になって帰って来た。
「なにも変ったことはなかったか」
家には別に変ったことはなかった。その日の夕方から雨になって家の中は生温かかった。寝床へ入ると女房はまた物干竿のことを話しだした。
「なに、狸かなにかだろう」
益之助はもう気にも留めていないと云う風にして、女房の詞《ことば》になま返事をしていた。と、がたりと前夜のような物音がした。益之助は眼を開けた。
「同じ音だな」
こう云って耳を澄ましたがもう何の音もしない。
「また物干竿でございましょうか」と、女房が云った。
「そうだろう、またやったかな」
益之助は渋しぶと身体を起して縁側に出て雨戸を開けた。雨に滲んだうす暗い月の光は、また庭の中ほどに置いてある二十本ばかりの竹を見せた。益之助はまた笑いだした。
朝になって益之助は雨戸を繰りながら庭の方を見た。宵の竹は一本もなかった。竹の不思議はその夜にもまたあった。
四日目の晩が来た。二人はまた寝床へ入って竹の音のするのを心待ちに待っていたが、幾等待っていても何の音もしなかった。
「今晩は、やらないな」
益之助はこんなことを云っていたが何時の間にか眠ってしまった。女房もうとうとして夢とも現《うつつ》とも判らない状態にあった。何処かで女の声がした。
「もし、もし、……もし」
壮
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