って服部耕石翁を見舞い、それから若い友達と別れて寄宿舎の庭へ帰った。そして夕方になって、やっと[#「やっと」は底本では「やつと」]車を得て和智君を帰した。
私たちはそこで家内が持ち出して来た飯櫃《めしびつ》の飯を喫《く》って、不安な夕飯をすまし、筵二枚並べて敷いた上に蒲団を敷いて横になった。その私たちの傍には太田という漢学者の一家が避難していた。蝋燭の灯が其処此処に燃えた。
夕暮の東北の空は真赤に焼け爛《ただ》れて見えた。そして一睡して眼を開けると、うす赤い月が出ていた。
地は時どき揺れた。
底本:「貢太郎見聞録」中公文庫、中央公論社
1982(昭和57)年6月10日発行
底本の親本:「貢太郎見聞録」大阪毎日新聞社・東京日日新聞社
1926(大正15年)12月
入力:鈴木厚司
校正:多羅尾伴内
2003年8月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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