戸外を見るのも厭になったので、そのまま眼を閉じて前夜の酒の席のことなどを考えていた。馬場孤蝶翁が銀婚式をやる年に当り、初孫も生れ、それで全集も出ることになったので、門下知友がその祝いをやるとともに、記念文集の出版の挙となり、私もその委員の一人に選まれたので、その日五六人の委員と孤蝶翁の家に集まって、文壇の各方面に原稿の寄稿依頼の手簡を出したが、終って夕飯を喫うことになり、江戸川端の「橋本」という鰻屋に往ったところで、若い鼻眼鏡の委員の一人が興に乗って、ビールのカップや猪口に歯を当てて噛み砕いて酒をあおった。私はその友人の紅い唇などを思い浮べて独りで笑い心地になっていたが、急に四辺がひっそりとなったので、不思議に思って眼を開けた。うす暗かった家の内が明るくなって、草藪の上に陽の光が射していた。私は起きあがって表に向いた方の雨戸を開けた。
磨きをかけたような藍色の空にうす鼠色の雲が動いていて、暑い陽の光が風に吹きちぎられたようにぎらぎらと漂っていた。私の家の玄関口からは二三十間も前になった街路に面した総門越しに眼をやると、街路の向う側の藤寺の墓地の樹木が微風に揉まれていた。その樹木の中に
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