たりした。
寄宿舎の庭にはもう付近の者が二三十人も来ていた。寄宿舎の屋根の上に見えていた二軒の家は崖が崩れたために、その一方の家は簷が落ちて、それが寄宿舎の庭へ落ち重なり、その下に建っていた小使室を潰していた。私は家内や子供をそこへ置くなり、和智君を迎えに往っておぶって来た。
寄宿舎の庭には、腰かけや玄関のあがり口に敷いてあったらしい台を出してあった。私は家内や子供たちの立っている傍の台に和智君をかけさし、家へ帰って畳表の古いのでこしらえてある筵を取って来て敷いた。地は脈を打つように後から後からと動いて来た。
和智君はその筵の上に蚕のようになって寝た。私は何かしらその地震よりも大きな危険が来て自分の後に迫っているような気がして、そこにじっとしていられないので、シナ人の下宿の前へと往った。三四人の者が口口に何か叫びながら潰れた家の取付きの所で騒いでいた。何事であろうかと思ってその傍へ寄って往った。
「どうしたのです」
「二人敷かれてますよ」
知合いの八百屋の豊というのがそう言って、潰れた家に圧されて歪《ゆが》んだシナ人の下宿の入口から入って往こうとしたが、扉が締っていて入れないので、皆で瓦を掻き除けて屋根を破ることにした。私もそれに手を貸して瓦を剥いだ。地震に逃げ迷うている人びとがその傍を狂気のようにして往来した。
「火事だ」
大砲を打つような響きが続けさまに起った。二人の男は潰れた家の屋根の上にあがって、柱の折れたので内の方をまぜるようにしていた。
「大丈夫だよ、大丈夫だよ」
その時地の底からでも聞えて来るように女の泣き声が聞えて来た。
「もうすぐだよ、すぐだよ、心配しないが好いよ」
めりめりと屋根の破れる音がするかと思うと、一人の男がしゃがんで柱の折れを入れた所へ手をやった。
「よし、来た、それ、よいしょ」
髪の乱れた色の青い女が曳き出された。女はひいひい泣いていた。女は出されるなり骨のないようによろよろとなった。私はあがって往ってその女を肩にかけた。女は苧殻《おがら》のように軽かった。私はその女を墓地の垣根の下へ伴れて往って、煉瓦に腰をかけさせた。
「もう大丈夫だ」
顔の土色をした頬髭の生えた病人が女の後から簷をおりて来た。それは女の夫らしかった。私はそれから藤寺の門前になった藤坂の方へと往った。坂のあがり口の冬は「おでん屋」になる氷屋の一家は、寺の門の内の藤棚の下へ避難していた。そこに太った氷屋の老婆がおどおどして立っていた。
「お婆さん、けがはなかったのですか」
背の高いそこの女も不安な顔をして立っていた。
「先生、火事だというじゃありませんか」
神田方面が火事になったとその女が言った。私は寺の門を離れて坂の上へと往った。広い電車通りには街の両側の人びとが溢れ出て、線路の上に避難していた。電車はそこここに投げ出されたようになっていた。両側の家家の屋根瓦は剥げ落ちて、瓦の下に敷いたソギが現れていた。私は俳友の鈴木寿月君のことが気になったので、右の方へと曲って往った。寿月君の宅はすぐ通路の左側のパン屋の横になった路次の奥にあった。私は人びとの避難している線路を横切って路次の方へ往こうとしたが、どうもやはり線路の上に避難しているらしいので、路次の入口になった線路の所に眼をやった。小柄な寿月君の細君が、線路の上に敷いた筵の上に坐って洋傘をさし、嬰児を膝にしていた。
「や、奥さんですか、大変なことでしたね、けがはなかったのですか」
「私たちはなんともなかったのですが、やどが横須賀へ往ってるものですから、それを心配してるのですよ」
砲兵工廠に勤めている寿月君は、暑中休暇を利用して横須賀へ遊びに往っているところであった。
「横須賀は、そんなことはないでしょう、大丈夫ですよ」
私はそんな気休めを言って引き返したが、その実心配でたまらなかった。私はそれから坂の左側になった小さな洋食屋の前へと往った。私はその前の線路の上にも、椅子に腰をかけた五六人の人びとを見出した。
「お宅はなんともありませんでしたか、たいへんなことになりました」
むすめむすめした商売屋のお神さんらしくない洋食屋のお神さんが、涙ぐましい声で挨拶した。その神さんの傍に鼻の黒子《ほくろ》の眼につく可愛い女が、人なつこい顔をしていた。
「どうだね、びっくりしたかね」
私は坂をおりて寄宿舎の庭へ帰ろうとしたが、煙草が飲みたくなったので、校長の店によって敷島を五袋もらい、ついでに夜の燈火のことを思い出して十本の蝋燭ももらって出た。
「えらい地震がしましたね」
牛込新小川町の下宿にいる若い友人が、心配して見に来てくれたところであった。私はその友人を伴れて寄宿舎の庭へと往った。
「神田方面はひどい火事ですね、砲兵工廠も燃えていますよ」
寄宿舎の門から
前へ
次へ
全4ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング