の地震をはじめ地震のことを研究している人から、二階にいれば比較的安全だということを聞かされているためであった。私は和智君が倒れかけた襖の傍を裏崖へ向いた窓の方へ往く姿をちらと見たばかりで下へ駆けおりた。
「二階、二階、二階へあがれ」
家内は一枚障子のはずれた玄関の柱の傍につくばって、左の手をその柱にかけ、右の手で泣き叫ぶ四つになる末の女の児を抱きかかえるようにしていた。八つになる女の児はその後で持ちあがる畳を押えつけようとでもしているようにしてこれも泣いていた。私はいきなり家内の抱きかかえるようにしている末の児に手をかけた。
「大丈夫、大丈夫、二階へあがろう、二階へあがろう」
私に力をつけられて家内は起きあがった。家はゆらゆらとして足許が定まらなかった。私は末の児の胴から上を持ち、家内はその下を持って、姉の児を衝き飛ばすようにして先に立てて二階へあがった。
「大丈夫、大丈夫」
家内は倒れかけた襖に掴まろうとして、ひょろひょろと歩いた。二軒長屋になった隣との境の壁がぬき板に沿うてひびわれるのが見えた。私は末の児を抱きかかえたなりに、はらはらとして立っていた。
戸外の方では物の倒れる音、瓦の落ちて砕ける音、その音の間に泣き叫ぶたくさんの人声が波の打つように聞えた。
「和智君はどうしたろう」
和智君の姿はもう見えなかった。私が和智君のことに気がついた時には、もう地震は小さくなっていた。
「やんだ、やんだ、この隙に戸外へ出よう」
私は末の児を抱き、家内は姉の児の手を曳いて、そそくさと下へとおりた。地の震いはひどく小さくなっていた。家内は土間へおりて姉の児に下駄を履かしたので、私は手にしていた末の児をその背に乗せた。
家内はそのまま出て往った。私は瓦が落ちやしないかと思って出て往く一行の後を見送りながら、土間へおりて下駄を履き、追っかけるように玄関口へと出た。家内は総門の左になったシナ人の下宿が門の内へ倒れかかっている下を通って街路へ出、街路の向う側、藤寺の墓地の垣に添うて立っている五六人の者と一緒になった。私はやや心に余裕が出来た。私は校長の家へと眼をやった。校長の家の屋根は瓦がたくさん剥げ落ちていた。私の眼は今度は右の方へと往った。そこには家主の赤い煉瓦塀があって此方との境をしており、その上に一本の煙突があって平生|店子《たなこ》を督視しているように立っているが、どうしたことかそれが見えない。私は不思議に思って気をつけて見た。煙突は向う隣の素人下宿屋の台所の屋根に倒れ落ちて、その屋根をめりこましていた。煉瓦塀は砕けて路次の行詰を埋めていた。私はいきなり向う隣の非常口の木戸の戸を開けた。
「有馬さん、有馬さん、大丈夫ですか」
と、間をおいて病身な主人の声が台所の方でした。
「た、あ、な、か、さん、で、す、かア」
主人は台所に這いつくばって、起きようともがいているところであった。
「けがはなかったのですか」
「けエがアは、ありイませんが……」
主人はのっそりと起きて来た。
「えらいことでしたね、けががなかったなら好いのですね、でも、まだ危険ですから、外へ出ようじゃありませんか」
私はそのまま走って外へ出た。かなり強い地震がまたやって来て地の上がゆらゆらとした。私は墓地の生垣に体をぴったりと押しつけるようにして、シナ人の下宿を気にしている家内の傍へ往った。その生垣の根方には黒い煉瓦を築いてあったが、それが皆崩れて垣の根があらわれていた。
「ここなら大丈夫だ」
「でも、こわいわ、こわいわ、どうしましょう」
シナ人の下宿の並びの米屋と差配などの住んでいた一棟は潰れていた。私たちの頭の上には電燈の太い蛇のような線が通っていて、門口の右手よりにその柱があった。私は下宿の方よりもその方が怖かった。シナ人の下宿の軒先にも電信線があった。その下宿の簷《のき》はぐらぐらとしてその柱に当りそうに動いていた。
「さっきのお客さんですよ」
家内の声がするのでふと見ると、家内の右側に和智君が黒い顔をして生垣に寄りかかっていた。
「お客さん、足をけがしていらっしゃいますよ」
和智君は私が家内と子供を下へ伴れに往っている間に、二階の簷から飛びおりて右の足首をくじいていた。
「そいつはいかん、僕がもんであげよう」
私は和智君を崩れた煉瓦の上へかけさして、くじいた足首のあたりを揉んだ。和智君は痛いと言って長くそれを揉まさなかった。
「ここは駄目ですよ、どこかへまいりましょう」
家内が私に言いかけた時、また地が震うて来た。三四人の者は奈良県の寄宿舎の下の高い崖の方へと往きかけた。寄宿舎の庭なら安全であると私は思った。私は和智君を後で迎いに往くことにして、まず、子供と家内を伴れて往った。その僅かな路の間も電線に注意したり、右側の簷の瓦に注意し
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