ちょうと考える容《さま》であったが、
「検使に来たと見えるな、今碁を打っておるから、碁が済むまで待たしておけ」
 彼は静に石をおろした。客もその後を受けて石をおろしたが、その指|端《さき》は慄えていた。彼はその時二十六歳であった。そのうちに碁が終ってしまった。彼は客と石の吟味をした後に、己《じぶん》の石を碁笥《ごけ》に入れて盤の上に置いた。
「それでは検使を迎えようか」
 彼は悠々として表座敷へ往って検使を迎えた。桑名弥次兵衛は畳の上を見詰めながら元親の命を伝えた。
「確にお受けいたした、人の運が尽きると、左前となって逆道が多い、逆道で家の立って往く道理がない、長宗我部の家もここ五六年じゃ」
 親実は湯殿へ往って、冷たい水で身体を洗って帰り、二人の見る前で静に自殺した。死骸は吾川郡木塚村西分へ葬った。
 元親の怒に触れて死を賜わった者は、他に比江山親興、永吉飛騨守、宗安寺真西堂、吉良彦太夫、城内大守坊、日和田与三衛門、小島甚四郎、勝賀野次郎兵衛実信の八人であった。その中で比江山親興へは、中島吉右衛門、横山修理の二人が検使となって往った。親輿は長岡郡比江村日吉の城主で、長宗我部家の老臣の一人であった。親興はその時、大高坂《おおだかさ》城の北に当る尾戸に邸宅を普請し始めたところであった。
 勝賀野次郎兵衛には、土居肥前勝行をやった。勝行は検使と云うよりは殺戮使と云う方が当っていた。勝賀野次郎兵衛は親実の家来で蓮池にいた。
「勝賀野は音に聞えた男じゃ、卒爾なふるまいして仕損ずるな」
 元親は勝行に注意した。勝行は城を出て西のほうへ向った。
「土居殿、何処へ往かれる」
 勝行へ声をかけてから二人の侍が後から来た。塩見野弥惣、野中源兵衛の二人で勝行とは親しい仲であった。
「蓮池の城といっしょに、勝賀野の首を執りに往くところじゃ」
 勝行がその理由を話すと、二人もいっしょに往ってやろうと云いだした。
「元親公の云いつけじゃから、御身達を伴れて往くことはならん」
 勝行は承知しなかった。其処へまた二人の侍が来た。北代市右衛門と甥の北代四郎右衛門の二人であった。
「和主《おぬし》達は何をしておるのじゃ」
 市右衛門が云った。市右衛門叔父甥は、勝行の大事の使のことを聞くと、これもいっしょに往こうと云いだした。勝行はしかたなしに四人の加勢を伴れて往った。
 次郎兵衛の家は蓮池城の東南の
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