い鼻の下にちよびりと髭を生やした中折帽の男が、前の入口に近い所に立つてゐるのが見えた。清はぎよつとした。それは見覚のある刑事の顔であつた。彼はしまつたと思つたが、逃げることも出来ないので、恐る恐る注意してみると、どうも自分のゐるのに気が付いてゐないやうであるから、そつと逃げてやらうと思つた。で、立つてゐる人の蔭になるやうにして、後の出口の方へ行つたところで、都合よく電車が停まつた。彼は車掌に切符を投げつけるやうに渡しており、走るやうに十足ばかり行つて振り返つて見ると、動き出した電車に添うて、中折帽を着た彼の刑事らしい者が此方を見て立つてゐた。
其処は橋の上であつた。清はいよいよ見付かつたやうだから、逃げられるだけ逃げやうと思つて走りかけた。それは中の島公園の上になつた橋で、すぐ下へとおりて行く階段の口があつた清はそれへとおりて行つた。
冷たい荒い風がぼつぼつ点いた電燈を吹いてゐた。と、見ると、白いジヤケツのやうな物を着た二三十人の者が、その附近をひらひらと雪女の群のやうに走つてゐた。清はマラソンの稽古をしてゐるな、と思つた。そして、自分もジヤケツを着てゐるから、あの中へ交つて走つて
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