きな地震があった。慶安には元年四月に相模、武蔵、山城、同二年二月に伊予、安芸、山城、その六月に武蔵、下野、この翌月に武蔵の大地震があったが、六月の地震には江戸城の石垣が崩れ、諸大名の屋敷町屋が潰れたので、江戸の人心に動揺の兆があった。由比正雪の隠謀の露われたのは、それから中一年を置いた四年の七月であった。
万治二年二月には、岩代、下野、武蔵に大きな地震があった。寛文年間も大きな地震の多い年であった。元年十月には土佐、同二年三月には京都、江戸、同年五月には山城、大和、伊賀、伊勢、近江、摂津、和泉、丹波、丹後、若狭、美濃、信濃、肥前、同年九月には日向、大隅、同三年七月には胆振《いぶり》、同年十二月には山城、同四年六月には紀伊の新宮、京都、同五年五月には京都、同年十一月には越後、同八年七月には仙台、同十年六月には相模の大住、というように大きな地震があったが、そのうち日向、大隅の地震には海嘯があり、胆振の地震には有珠岳が噴火した。温泉岳も寛永三年に噴火し、阿蘇山は王朝時代から思いだしたように時時噴火している。
延宝四年六月には石見、同五年三月には陸中の南部に地震と海嘯があった。元和三年五月
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