箇所の被害を記してあるが、関係諸国の溺死人は夥しい数にのぼったことであろう。十六年の地震は、三陸の地震で、仙台、南部、津軽及び松前の諸領にまで海嘯があった。十九年の地震は、越後、相模、紀伊、山城で、越後に海嘯があった。
四 元禄大地震、振袖火事、安政大地震
慶長五年の関ヶ原の役で、天下の権勢が徳川氏に帰すると共に、江戸時代三百年の平和期が来たが、その間慶長五年から慶応二年に至るまで、全国にわたって四百七八十回の大小の地震があり、地震に伴う海嘯があり、火事があって、市民にかなり深刻な脅威を刻みつけている。
慶長年間の地震のことは既に言った。元和二年七月には、仙台に大地震があって城壁楼櫓が破損した。寛永七年六月には江戸に大きな地震があり、同十年一月には、江戸をはじめ、相模、駿河、伊豆に大地震があったが、わけて小田原は城が破損して、町は一里の間一軒の家もないように潰れてしまった。そして熱海に海嘯があった。その寛永には十六年十一月に越前にも大きな地震があった。
正保元年三月には日光山、同年九月には羽後の本荘、同三年四月には陸前、磐城、武蔵、同四年五月には、また武蔵、相模に大
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