落した。嬰児は畳の上にずしりと云う音をたてた。それは石地蔵であった。其の時傍にいた母のお熊《くま》がきゃっと云ってのけぞった。お熊の咽喉ぶえにお岩が口をやっているところであった。
「おのれ」
 伊右衛門は刀を抜いて其の辺《あたり》を狂い廻ったが、気が注《つ》いた時には、己《じぶん》を捕えに来ている大勢の捕手を一人残らず斬り伏せていた。伊右衛門は其のまま其処《そこ》を走り出た。と、其の眼の前へ、
「伊右衛門待て」
 と云って駈け出して来た者があった。それは与茂七であった。
「其の方は与茂七か」
 伊右衛門はきっとなって身がまえした。与茂七は刀を脱いた。
「お袖のためには義理の姉、お岩の讐《かたき》じゃ、覚悟せよ」
「なにを」
 伊右衛門は与茂七を斬り伏せようとした。と、何処からともなく又|数多《たくさん》の鼠が出て、伊右衛門の揮《ふる》っている刀にからみついた。其のひょうしに伊右衛門は刀を執《と》り落した。其処を与茂七が、
「おのれ」
 と云って肩から斜《はす》に斬りおろした。伊右衛門の体は朱《あけ》に染まって雪の上へ倒れた。



底本:「怪奇・伝奇時代小説選集3 新怪談集」春陽文庫、
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