だろう」
「おい、これ、馬鹿な事を云うな、世間には幾何《いくら》でも同じ物があらあな」
直助はそれから質屋へ往こうとした。お袖は其の手にすがった。
「衣服は違ってても、櫛はたしかに姉さんの櫛、どうぞ、そればっかりは」
「てめえも馬鹿律気《ばかりちぎ》な。だいち死んだ所天《ていしゅ》へ義理をたてて」
お袖は直助にせまられても与茂七の讐《かたき》が見つかるまではと云って夫婦にならずにいるところであった。お袖はやがて夕飯の準備《したく》に庖厨《かって》へ往った。直助は其の間に質屋へ往くべく門口へ出た。と、其の時傍の盥に浸けてある衣服の中から、痩せ細った手がぬっと出て直助の足をつかんだ。直助は顫《ふる》えあがって手にした櫛を落とした。と、盥の手が引込んだ。
「今のは、たしかに女の手だ」
直助が考えこんでいるところへ、お袖が膳を持って出て来たが、直助が落としてある櫛を見つけた。
「姉さんが、大事がらしやんす櫛じゃと云うに、こんなにして」
お袖は櫛を拾いあげたが、やっぱり米屋のことも気になるのであった。
「栄耀《えよう》につかうではなし、姉さん借してくださいよ」
と云って直助を質屋へやろ
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