のない美しさであったから、方棟はふらふらとなって我を忘れ、後になり前になりして従《つ》いて往った。そしてすこし往ったところで、女郎は侍女を車の側近く呼んで言った。
「わたしに戸をおろしてくださいよ、何処かの狂人《きちがい》でしょ、さっきから窺いてるのよ」
 そこで侍女は簾《すだれ》をおろして、怒った顔で方棟の方をふりかえって言った。
「これは、芙蓉城《ふようじょう》の七郎さまの奥様が、お里がえりをなさるところでございますよ、田舎|女《むすめ》を若い衆がのぞくようなことをせられては困ります」
 侍女はそう言うかと思うと轍《わだち》の土を掬《すく》うてふりかけた。土は方棟の目に入って開けようとしても開かなかった。それをやっとの思いで拭いおとして、車はと見たがもう影も形もなくなっていた。方棟は不思議な車もあったものだと思いながら家へ帰ってきたが、どうも目のぐあいが悪いので、人に瞼をあけて見てもらうと、睛《ひとみ》の上に小さな翳《くもり》が出来ていた。そして、翌朝になってから痛みがますます劇《はげ》しくなって、涙がほろほろと出て止まらなかった。それと共に翳もしだいに大きくなって、数日の後には厚
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