くなって銭のようになり、右の睛には螺《にな》の殻のような渦まきが出来ていた。そこで方棟はあらゆる薬を用いて癒そうとしたが効《ききめ》がないので、悩み悶えた後にひどく自分の行いを後悔するようになった。光明経《こうみょうきょう》を誦《よ》むと厄をはらうことができるということを聞いたので、それを求めて人に教えてもらって誦んだ。初めのうちは心がいらいらしておちつかなかったが、しだいにおちついてきて安らかになり、朝晩ほかのことは思わずに珠数《じゅず》を捻《つまぐ》っていられるようになった。
この状態を一年ばかり続けているうちに身心|倶《とも》に静かになった。と、ある日、右の目の中で蠅の羽音のような小さな声で話をする声がした。
「真暗だ、どうするというのだろう、たまらないや」
左の目からそれに応じて言った。
「いっしょに出て遊ぼうじゃないか、気ばらしに」
すると両方の鼻の孔の中がむずむずかゆくなって、物がいて出て往くようであったが、しばらくして帰ってきて、また鼻の孔から※[#「目+匡」、第3水準1−88−81]《まぶた》の中へ入って話しだした。
「しばらく園《にわ》を見なかったが、珍珠蘭《ちんしゅらん》が枯れてるじゃないか」
方棟は蘭が好きで、園へいろいろの蘭を植えて日常《ひごろ》水を漑《か》けていたが、目が見えなくなってからはそのままにしてあったので、その言葉を聞くと遽《あわ》てて細君に言った。
「蘭をなぜ枯らしたのだ」
細君は不思議に思って、
「どうしてそれを知ってるの」
と言った。方棟はその故《わけ》を話した。細君は園へ出て験《しら》べた。果して蘭は枯れていた。細君はますます不思議に思って、そっと室《へや》の中に匿《かく》れていると、方棟の鼻の内から小さな人が二人出てきたが、その大きさは豆ほどもなかった。それがちょろちょろと門の方へ出て往って見えなくなっていたが、急に並んで帰ってきて、顔へ飛びあがり蜂が穴へ入って往くように鼻の孔へ入って往った。
そんなふうで二三日したところで、また左の目の中で声がした。
「隧道《トンネル》はまわりどおくて、往来が不便だ、自分で門を啓《あ》けるがいいじゃないか」
右の目の中からそれに答えた。
「俺の方は壁が厚くて、むつかしいや」
すると左の方が言った。
「じゃ、俺の方で試《ため》しに啓けてみよう、お互いにいっしょにいられる
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