灯で夕飯の箸を執った。そして飯がすむと、膳をかたづけて、室《へや》の隅から練った麻と、小さな桶を持って来て、麻を紡ぎはじめた。小さくへいで捻りあわせた麻糸は、順じゅんにその桶の中へ手繰り込まれた。
 老婆は時どき降りて裏口にある便所へ往った。暗い中に虫の声が聞えていた。うすら寒い風が襟元を撫でてさびしかった。彼女は何時の間にかお爺さんのことを思い出していた。
 お爺さんは亡くなる日まで、何かと云えば口癖のように離縁する離縁すると云っていた。その詞がお婆さんの耳に蘇生《よみがえ》っていた。
 何時かも己《じぶん》の里に紛擾が起ったので、それへ往っていて夜になって帰って来ると、膳|前《さき》の酒を一人で飲んでいたお爺さんが、
「どちらへお出でになっておりました」
 と、嘲るように云った。老婆が黙っていると、
「云えなかろう、云えないて、俺の家へ嫁入って来たからには、俺の家の者じゃ、いくら身内に何があろうとも、一応俺の許しを受けてから往くのが順当じゃ、黙って往くと云う法はない」
 と、お爺さんは双手を一ぱいに張って見せる。
「花嫁で耻かしいから、云わざったわよ」
 と、老婆が嘲り返す。お爺さ
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