んは憤って、膳の上の茶碗を投げつけて、
「汝《きさま》のような奴は、もう許さん、今日限り離縁する」
 老婆はお爺さんのことを思いだし思いだししていた。そして、今度便所に往った時に見ると、三つ星がもう裏の藪の上へ傾いていた。で、老婆は寝ることにして、戸締をし壁厨《おしいれ》から蒲団を出しているうちに、また餅のことを思いだしたが、腹が一ぱいで何も喫ってみる気がしない。
(明日の朝にしよう、もう腐るようなことはない)
 老婆は仏壇の明りをしめして来て、行灯の灯をなおし、それから寝床に入ろうとすると、表の戸を叩く音がした。
「頼もう、頼もう」
 それは詞《ことば》の使い方からして、近隣《きんじょ》の人の声ではなかった。お上の御用を扱うている村役人ではないかと思った。老婆は行灯を提げて往った。
「頼もう、頼もう」
「はい、はい」
 老婆は表の入口の端になった雨戸を一枚開けた。暗い中にがさがさと物音をさして、行灯の灯のしょぼしょぼした光の中へ入って来たものがあった。それは青い錦の道服を着た者と、赤い錦の道服を着た者であった。二個の手にぴかぴか光る鉾があった。老婆はびっくりしてその顔を見た。青い道服
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