していた。庖丁らしいものを鉄床の上に置いてそれを鉄槌で鍛えていた。
 飛脚は其処へ入りながら家の内に注意した。狭い屋根の下には仕事場の土間と土壁で土間を仕切った二間ばかりの座敷があった。飛脚はちょっとそれに眼をやったが、入口に袖屏風を建ててあって内は見えなかった。鍛冶は顔をあげて見知らない客を見た。その手ではやはり鉄槌を揮っていた。
「鍛冶屋さん、一つ馬の靴を頼みたいが」と、飛脚は云った。
「打ちましょう、まあ、一喫やり」と、鍛冶は柔和な声で云った。
 飛脚は吹子のむこうへ往って其処の腰かけに腰かけ、煙草入を出して煙草を喫《の》みはじめた。
「鍛冶屋さんは知るまいが、私《わし》は昔この辺に来たことがあるから、お前さんの家も好く知っておる、お父《とっ》さんもお母《っか》さんも、まだに達者かな」
「親爺は、六年前に死にましたが、母はまだ生きております」
「そうか、お父さんは年に不足もなかろうが、それは惜しいことをした、お母さんは達者かな」
「どうも達者すぎてこまります」
「それは目出たい、今日は留守のようだな」
「いや、昨夜、遅く便所《せっちん》へ往きよって、ひっくりかえって鍋で額を怪我し
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