「老爺《じんま》はもう死んで五六年になるが、老婆《ばんば》はまだぴんぴんしておりますが、その老婆という奴がみょうな奴で、息子の嫁をまぜだしたりして、村でもとおり者でございます」
 飛脚は佐喜の浜の方へ往きながら、いくら根性まがりの老婆でも、人間が狼の仲間入りはしないだろう、……しかしそれにしても佐喜の浜の鍛冶の母を呼うで来いと云ったのは不思議である、もしや、鍛冶の母と云うのは狼の化けている者であるまいかと思った。もし化けているものなら、前夜確に額に斬りつけてあるから、どうかなっておらねばならぬのであった。
 その日海には大きな波のうねりが見えて沖が蒼黒くなっていた。飛脚は海岸を歩いて往った。小さな坂の上で壮《わか》い漁師に逢ったので聞いてみた。
「私は佐喜の浜の鍛冶屋へ、馬の靴を打ってもらいに往きよるが、あすこのお婆さんは達者かな」
「庄鍛冶の老婆《ばんば》か、彼奴は達者すぎて、庄が困っておる」
 と、漁師は笑いながら擦れ違った。
 とにかく額か何処かに怪我があるか無いかを見れば判ると思いながら歩いた。そして、佐喜の浜へ着いて鍛冶屋を聞いて尋ねて往った。
 鍛冶屋の庄吉は仕事場で仕事を
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