ていた。彼はふと此処は人間界でなくて、人がよくいう仙境か何かではあるまいか、それでなくて自分が此処へくることまで判っているはずはないと思いだした。それにしても、いかにも珍客を待ちかねているようにしているのは、どういうわけであろうかと彼はまた思った。
扉が開いて※[#「糸+逢のつくり」、29−11]紗燈《ほうしゃとう》を持った少年を伴《つ》れて痩せた男が入ってきた。燭《ともし》の燈は杜陽の眼にひどくきれいに見えた。
「どうもお待たせいたしました。旦那様が、お待ちかねでございます、さあどうぞ、此方へおいでくださいますように」
痩せた男は急いできたと見えて呼吸《いき》をはずましていた。
「そうですか、旦那はどうした方ですか」
杜陽は起ちながら言った。
「いらしてくださいますなら、すぐお判りになります、さあどうぞ」
痩せた男と※[#「糸+逢のつくり」、30−2]紗燈の少年が往きかけるので、杜陽は随《つ》いて往ったが気がわくわくしておちつかなかった。
朱塗の門を入ると大きな建物がきた。それは王侯の邸宅といってもいい建物で、柱にも楹《たるき》にもいちめんに彫刻のしてあるのが見られた。其処には昼のように燈の光が漂うていて、傍を使用人達が往ったり来たりしていた。杜陽が気が注《つ》いてみると、たくさんの者が柱の陰や庭の隅に集まって此方を覗くようにしているのが見えた。白粉《おしろい》をつけて眉ずみをした女の顔が重なって、それが笑声をして囁きあっている処もあった。杜陽は気おくれがして歩けなかった。
「此方で澡豆《おゆ》をさしあげます」
痩せた男は一室の扉を開けて入った。杜陽は自分の頭では何も考えられないので、彼の言うなりになって室《へや》の中へ入った。少年の一人が瓶に湯を盛って待っていた。
「お湯の加減はよろしゅうございます、どうかお使いくださいますように」
そう言ってから少年は出て往った。もう痩せた男もいなくなって杜陽は独りになっていた。彼は汚れた上衣を脱いでとろとろした湯で顔を洗い、汗になった肌を拭った。
「お召し更えを此処へ置いてまいります」
いつの間に入ってきたのか少年が※[#「竹/匪」、第4水準2−83−65]《はこ》へ新しい衣服《きもの》を入れて持ってきていた。杜陽はそれを受け取って着更えをしたが、不安でたまらなかった。
「お供をいたします」
※[#「糸+逢
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