思う間もなく烈しい雷の音が頭の上でした。
大異は雨に濡れないように後頭をぴったり木の幹へくっつけた。横になっていた死骸が不意にむくむくと起きて、それが大異を見つけたようにして走りかかってきた。大異はこうしてはいられないとおもったので、そのままそこの木へのぼって往った。雨はざあざあと音を立てて降っていた。
大異は梢の高い所へ往ったが、ここなればいいだろうと思ったので、うまく足のかかった枝を足場として、下の方を透して見た。暗い雨の中でも不思議にはっきり見えている死骸の一つは、土蜘《つちぐも》の足のような長い片手をこちらへ指して大声を出して何か罵っていたが、あわてている大異の耳には入らなかった。一つは鴉の嘴《くちばし》のような口をこちらへ向けて差し出すようにして立っていた。一つは坐っていたがその長い足が青がらすのように透き徹って見えた。
「あがれ、あがれ、あいつを逃がしたら大変だ」
「今晩のうちに、あいつを取らないと、俺達がひどい目に逢わされる」
「何人《たれ》か、あがれ、あがれ」
「あいつを逃がしたら、俺達に咎がある」
大異はあがってこられたら大変だと思った。彼は油断せずに死骸の行動をじっと注意していた。
急に四辺《あたり》が明るくなって夜が明けたようになった。雨が竭《や》んで月の光が射してきたところであった。大異はやっと気がおちついた。
死骸は依然として木の下で罵っていた。大異はさっきの鴉はどうしたろうと思って注意した。黒い鴉の影はもう一つも見えなくなっていた。
遠くの方で叫ぶとも呼びかけるとも判らない声が聞えた。大異はその方へ眼をやった。背の高い怪しい者が月の光を浴びて、こちらへ向いて大|胯《また》に歩いてくるのが木の間から見えた。
怪しい者はみるみる近くなってきた。それは額に二本の角のある青い体をした夜叉《やしゃ》であった。大異の口元には嘲笑が浮んだ。大異はまたへんな奴がきやがったが、今度はどんなことをするだろうと思って、またたきもせずに見ていた。
夜叉は死骸の側へ来た。そこには木の上に向って何か言っている一つの死骸があった。夜叉はひょいと手を延べてその死骸の頭へやった。と、頭はぼっきりと折れたようになって夜叉の手に移った。それと同時に死骸は麻殻《あさがら》のように倒れてしまった。
夜叉は手にした死骸の頭を大きな赤い口へ持って往ってむしゃむしゃと※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]《く》いだした。その※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]う容《さま》が瓜でも※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]うようであった。大異はまた驚いて眼を瞠ったが、すぐその後から嘲笑が浮んできた。
夜叉の※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]っていた死骸の頭はすぐなくなった。夜叉はまた手を出して次に立っていた死骸の頭を取って、またむしゃむしゃと※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]いだした。その死骸も麻殻の倒れるようにもっそりと倒れてしまった。大異はこれからまたどんなことを始めるだろうと思って、不安な中にも後が待たれるような気がした。
夜叉はその頭を※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]ってしまうと、また次の死骸の頭を取って※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]いだしたが、その頭を取ることも※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]うことも非常に早くなって往った。
夜叉は次から次へ死骸の頭を※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]って往って、八つか九つかの頭を皆※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]ってしまったが、※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]い終るとそのまま木の下へ倒れるように寝てしまった。
その夜叉の鼾《いびき》の声が聞えてきた。大異はこの間に逃げなくてはいけないと思った。大異は夜叉と頭をなくして倒れている死骸の方をつらつらと見た後で、そろそろと木をおりた。夜叉の鼾は林の中へ響きわたるように聞えていた。大異は跫音のしないように夜叉の枕頭《まくらもと》を通って、すこし往ったところで走りだした。
大異は野の明るい所を選んで足の向くままに走った。百足ばかりも往ったところで、後の方で物の気配がした。大異は走りながらちょっと後の方を見た。かの夜叉が赤い大きな口を見せて追っかけてくるところであった。大異ははっと思って死力を出して走ったが、このままでは夜叉に追っつかれるので木へあがろうと思って、ちかちかする眼をせわしく動かして前の方を見た。五六本の木立があって、その下に家の屋根のような物が見えた。大異は喜んでその方へ走った。
簷《のき》の傾いた荒寺が草の中に立っていた。夜叉の喘《あえ》ぐ呼吸《いき》づかいがすぐ背後《うしろ》で聞えた。大異はそのまま荒寺の中へ入って往った。
一条の月
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