次の怪物は赤い水を桶に入れてきて、それを大異の髪にかけた。髪は火のように赤い色になって、それが頭の周囲にまくれあがった。
「俺は碧光の睛《まなこ》を贈ってやろう」
も一つの怪物は二つの青い珠を持ってきて、大異の両眼に篏《は》めた。
「これで贈物はもう済んだらしいな、では、もうこの人間を帰してやろう、さあお前さん、帰るがいいよ、そこいらまで俺が送ってやろう」
大異は老鬼に促がされて歩いた。老鬼はことことと後から随《つ》いてきた。
暗い坑の口が見えてきた。その坑の口へ往ったところで老鬼が言った。
「この坑はお前さんがきた坑だ、これを出ると、すぐお前さんの家だ、ずいぶん達者で暮すがいい、さっきお前さんはひどい目に逢ったが、もうあんなことは忘れてしまうがいいよ」
大異はそこで老鬼と別れて坑を出た。坑の前《さき》は上蔡の市中であった。大異はその市中を通って東門にある自分の家へ帰ったが、撥雲の角、哨風の嘴、朱華の髪、碧光の睛、どうしても人間でないので、市中の者が聚《あつま》ってきたが、近くへは寄らなかった。小児《こども》などは啼《な》いて逃げた。
そして、やっと家へ帰り著《つ》いたが、細君や小児は恐れて逃げだした。いくら話してもほんとうにしない。大異は非常に憤懣して、それから人にも逢わず、食を絶って死んだが、死ぬる時家の者を呼んで言った。
「俺は鬼に辱しめられて死ぬるから、棺の中へたくさん紙と筆を入れて置け、俺は天に訟《うった》えるのだ、俺が死んで数日したら、きっと蔡州に不思議な事が起る、その時は俺の勝った時だから、酒を瀝《そそ》いで祝してくれ」
家内の者は大異の言う通り紙筆を棺の中へ入れたところで、三日過ぎて、白昼不意に暴風雨が起って、それに雷鳴が加わり、屋根瓦を飛ばし、大木を抜いて、翌日の朝まで荒れて、朝になってやっと霽《は》れた。霽れた時にみると、大異の堕ちた坑のあたりが中心に大きな湖が出来て、それには赤い血のような水が溢れていた。
その時、大異の柩の中から声が聞えた。
「俺の訟えが勝って、鬼どもは夷滅《いめつ》せられた、それとともに天では俺の正直を認めてくれて、俺を太虚殿《だいきょでん》の司法にしてくれた、俺は職任が重くなったから、再びこの世にはこないのだ」
大異の家ではそこで大異を葬ったが、葬る時その柩の周囲に、大異の霊の髣髴《ほうふつ》としているのを感じた。
底本:「中国の怪談(一)」河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年5月6日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年11月30日発行
※「ずいぶん達者で暮すがいい」の「ずいぶん」は底本では「すいぶん」でしたが、親本を参照して直しました。
入力:Hiroshi_O
校正:門田裕志、小林繁雄
2003年8月3日作成
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