もあった。中には、
「握り飯をこしらえて、俺の家の門口まで持って往ってくれるなら、帰る」
 と、だだをこねる者もあった。病人の家ではそのとおりにした。漬物が欲しいと云えば漬物を持って往った。貰った方では知らないから感謝しているが、贈った方は舌を出した。で、私の村では、思いもうけない処から物をもらうと、
「家の犬神が云やしなかったろうか」
 などと云って笑った。今はそんなことを云う者もなくなったが、最近まで犬神持ちの家とは結婚しなかった。
「彼処《あすこ》の姨《おば》さんの眼を見ろ、光っているじゃないか」
 犬神持ちの家の人は、違った光る眼を持っていると云われていた。私の知っている老婆は、神経的な光のある眼をしていた。

 私の郷里は土佐の海岸であった。今はどうか知らないが、私の郷里には好く流行《はやり》神様と云うものが出来た。昨日まで何もなかった野原や畑の間に、急に小さな祠が出来て、それに参詣する者が赤や白の小さな幟をあげた。
「彼処の流行神様は、躄《いざり》が歩きだした」
「盲目の遍路の目が見えだした」
 などと流行神様の噂が村の人の口から口に伝えられる。その流行神様の本尊は、古い名
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