と口に手をやってこらえ、そこで自分の虫を出して見せた。それは大きな長い虫であったから、成は慚《は》じてどうしても闘わさなかった。少年は強いて闘わそうとした。成はそのうちにつまらない物を飼っていても、なんにもならないから闘わしてみよう。つまらない虫なら負けるからすてるまでだ。笑われると思ってやってみようという気になった。
 そこで双方の虫を盆の中へ入れた。成の小さな虫は体を伏せたなりに動かなかった。それはちょうど木で造った鶏のようであった。少年はまたひどく笑った。そこで試みに猪《ぶた》の毛で虫の鬚《ひげ》をつッついたが、それでも動かなかったので少年はまた笑った。そこでまた幾回も幾回もつッついた。すると虫は怒りたって、いきなり進んでいった。双方の虫は闘いをはじめて、声を出しながら争った。不意に小さな虫の方が飛びあがって尾を張り鬚を伸ばして、いきなり相手の領《くび》にくいついた。少年はひどく駭《おどろ》いて、急いでひきわけて闘いをよさした。小さな虫は翅《はね》を張って勝ちほこったように鳴いた。それはちょうど主人に知らしているようであった。
 成は大喜びで、少年と二人で見ていると、一羽の鶏が不意に来て、いきなり啄《くちばし》でそれをつっつこうとした。成はびっくりして叫んだ。幸に啄は虫にあたらなかった。虫は一尺あまりも飛んで逃げた。鶏は追っかけてとうとう追いついた。虫はもう爪の下になっていた。成はあわてたが救うことができないので、顔の色を変えて腰をぬかしたようにして立った。やがて鶏は頸《くび》を伸ばして虫をつッつこうとして、虫の方を見た。虫は飛んで冠《とさか》の上にとまった。鶏はそれを振り落そうとしたが落ちなかった。成はますます驚喜して、※[#「てへん+啜のつくり」、314−2]《と》って篭の中へ入れた。
 翌日成は邑宰の前へ虫を持っていった。邑宰はその虫があまり小さいので怒って成を叱った。成はその虫の不思議に豪《つよ》いことを話したが、邑宰は信じなかった。そこでためしに他の虫と闘わした。他の虫はどれもこれも負けてしまった。また鶏と闘わしてみると、それも成のいったとおりであった。そこで邑宰は成を賞して、それを撫軍《ぶぐん》に献上した。撫軍は大いに悦んで金の篭に入れて献上して、精しくその虫の能を上書した。
 その虫がすでに宮中に入ると、西方から献上した蝴蝶《こちょう》、蟷螂《とうろう》、油利撻《ゆりたつ》、青糸額《せいしがく》などいう有名な促織とそれぞれ闘わしたが、その右に出る者がなかった。そして琴の音色を聞くたびにその調子に従って舞い踊ったので、ますます不思議な虫とせられた。天子は大いに悦ばれて、詔《みことのり》をくだして撫軍に名馬と衣緞《いどん》を賜わった。撫軍はそのよって来たる所を忘れなかった。間もなく邑宰は成の献上した虫のすぐれて不思議なことを聞いて悦び、成の役をゆるして再び教官にして、邑の学校に入れた。
 後一年あまりして成の子供の精神が旧《もと》のようになったが、自分で、
「私は促織になってすばしこく闘って、捷《か》って今やっと生きかえった。」
 といった。撫軍もまた成に手厚い贈物をしたので、数年にならないうちに田が百頃、御殿のような第宅《ていたく》、牛馬羊の家畜も千疋位ずつできた。で、他出する際には衣服や乗物が旧家の人のようであった。



底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
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