の理由を話した。
「ここにいる人間が私の襪を齧んだためでございます。」
 高い所にいた者[#「者」は底本では「音」]はひどく怒った。
「その者に誅《ばつ》を加えるがよかろう。」
 武士が来て柳をつかまえ曳《ひ》き立てていこうとした。高い所には冠服をした王者が南に面して坐っていた。柳は曳き立てられながらいった。
「洞庭の神様は、柳姓でありますが、私もまた柳姓であります。昔、洞庭の神様は落第しましたが、私も今落第しております。しかるに洞庭の神様は、竜女に遇って神仙になられ、今私は酔って一人の女に戯れたがために死ぬるとは、何という幸不幸の懸隔のあることでしょう。」
 王者は、それを聞くと柳を呼びかえして問うた。
「その方は下第《かだい》の秀才か。」
 柳はうなずいた。そこで王者は柳に筆と紙をわたして、
「風鬟霧鬢《ふうかんむひん》の賦を作ってみよ。」
 といった。柳は嚢陽《じょうよう》の名士であったが、文章を構想することは遅かった。筆を持ってやや久しく考えたができなかった。王者はそれをせめた。
「名士、どうして遅い。」
 柳は筆を置いていった。
「昔、晋《しん》の左思《さし》が作った三都《さんと》の賦は十年してできあがりました。文章は巧みなのを貴《とうと》んで、速いのを貴びません。」
 王者は笑って聴いていた。辰《たつ》の刻から午《うま》の刻になって始めて脱稿《だっこう》した。王者はそれを見て非常に悦んだ。
「これでこそ真の名士である。」
 そこで柳は酒を下賜せられた。時を移さず珍奇な肴が前に列べられた。王者が柳に何かいおうとしている時、一人の使が帳簿を持って来て捧《ささ》げた。
「溺死者の名簿ができました。」
 王者は問うた。
「幾人ある。」
「一百二十八人あります。」
「だれを差遣《さけん》するのか。」
「毛《もう》将軍と南《なん》将軍の二人でございます。」
 柳はその前を退こうとした。王者は黄金十斤と、水晶の界方《かいほう》をくれた。界方とは直線を引くに用いる定規で、それで文鎮《ぶんちん》をかねるものであった。王者はいった。
「湖の中で災厄に逢っても、これを持っているなら、免がれることができる。」
 ふと見ると羽葆《はねがさ》をさしかけた人馬の行列が水面にあらわれた。王者は舟からおりてその輿《くるま》に乗ったが、そのまま見えなくなってしまった。舟の中一ぱいにいた女達
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