れを押えながら茂作の方を見た。
「も、も、茂作さん」
茂作は返事をしなかった。巳之吉はおそるおそる茂作の傍へ往って、茂作を揺り起そうとしたが、茂作は氷のように冷く硬ばっていた。巳之吉はその場に倒れてしまった。
翌朝《あくるあさ》になって、巳之吉は船頭に気つけの水を飲まされて我れに返った。船頭は村の者を呼んで来て、ともども巳之吉をその家へ運んで往って、事情を聞いたが、巳之吉は何も云わなかった。
巳之吉はそれから永い間床についていたが、やっと体の具合がよくなったので、一人でまた森へ通うようになった。そして、渡頭《わたしば》の船頭小屋の傍を往復するたびに、白い衣服の女の事を思いだして恐れた。
そのうちに一年ばかり経《た》った。それは木枯《こがらし》の寒い夕方であった。巳之吉は森からの帰りに渡船《わたし》に乗ったところで、風呂敷包を湯とんがけ[#「とんがけ」に傍点]にした田舎娘が乗っていた。手足のきゃしゃな色の白い娘であった。
渡船をあがった巳之吉は、その娘と後になり前《さき》になりして歩いていたが、そのうちに並んで歩くようになった。巳之吉は娘の素性が知りたかった。
「お前さんは、何処《どこ》だね」
娘は武蔵《むさし》の奥の者で、両親に死に別れ、他に身寄もないので、わずかな知人をたよりに、江戸へ女中奉公の口を探しに往くと云った。
巳之吉は女のたよりない身の上を聞くと気のどくになった。そこで自分の家の前まで来ると、
「今晩はわっしの家へ泊って、明日ゆっくり往きなすったら」
娘はすぐ巳之吉の詞《ことば》に従った。娘はお雪《ゆき》と云う名であった。巳之吉の母親は、巳之吉からお雪の事を聞いてお雪を家へ置く事にした。
お雪が家にいるようになってから巳之吉はしごく元気になった。
やがて、巳之吉とお雪は夫婦になった。お雪は母親をひどく大事にした。
「ほんとに良い嫁が来てくれた、おまえたちは、いつまでも仲よく暮しておくれよ」
お雪は次つぎに十人の子供を産んだ。子供たちはみんな色が白くて、木樵の子のようでなかった。そのうえ、お雪は十人も子供を産んだにもかかわらず、容貌《ようぼう》は巳之吉の所へ来た時と同じようにわかわかしかった。
「お雪さんは、わしらとは違ってる、あれは人間じゃないよ」
村の女たちは陰口を利きあった。
幸福な月日がまた何年か経って、木枯の吹く冬が来た
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング