こし訳があつた。しかしそれは、ごく親い兄弟のやうにしてゐる友人でなければ判らないことであつた。こんなことで洋画家の細君を見付けてやらうとした友人達も、ちよつと手にあましてゐたところで、その内に大阪の方で女学校を卒業した女があつて、それが洋画家の足りないところを充たすことが出来さうだといふことになつた。で、骨を折つて結婚さしてみると、その目きゝはすこしも違はないで、傍の者を羨ますやうな仲の好い夫婦が出来た。美術家はその話の中に
(それこそ、二人は相逢ふの遅きを怨むといふほどでしたよ、)といふ形容詞を用ひて皆を笑はした。
哲郎も腹を抱へて笑つたことを思ひだした。美術家はそれから洋画家夫婦にすぐ子供の生れたことを話した。その生れた子供は、毎日のやうに女中の手に抱かれて、正午頃と夕方家の前へ出てゐた。子供はひイひイ泣いてゐる時があつた。通りかかつた知合の者が訊くと、
(奥さんは、今、旦那さまとお書斎でお話をしてをりましてね、)
などゝいつた。はじめにゐた一度結婚したことのある女中は、何故かすぐ逃げだしてしまつたといふことも思ひだした。彼の考へは頻に放縦な女の話へと往つた。彼は中学生相手の雑
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