水莽草
田中貢太郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)水莽《すいぼう》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)三|娘《じょう》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)帰※[#「宀/必/冉」、246−7]《さとがえり》
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 水莽《すいぼう》という草は毒草である。葛《かずら》のように蔓生しているもので、花は扁豆《へんとう》の花に似て紫である。もし人が誤って食うようなことでもあるとたちどころに死んだ。そして、その水莽草を食って死んだ者の鬼《ゆうれい》を水莽鬼《すいぼうき》というのであるが、言い伝えによると、この鬼は輪廻《りんね》を得て来世に生れてくることができないので、その草を食って死ぬる者のあるのを待っていて自分の代りにし、それによって生れ代るといわれている。それ故に水莽草の多い楚中《そちゅう》の桃花江《とうかこう》一帯には、この鬼が最も多いとのことであった。
 この水莽鬼の伝説のある楚の地方では、同じ干支《えと》に生れた同年の者が交際するには干支の兄、干支の弟という意味で庚兄《こうけい》庚弟《こうてい》と呼びあい、その子や甥などは干支の伯《おじ》さんという意見《いみ》で、それを庚伯《こうはく》と呼ぶの風習があった。祝《しゅく》という男があって庚兄庚弟と呼びあっている同年の男の所へ出かけて往ったが、途中で喉が渇いたので何か飲みたいと思って、ふと見ると道傍《みちばた》へ板の台を構えて一人の媼《ばあ》さんが茶の接待をしていた。祝は喜んで其所へ往って、
「どうかお茶を一ぱい飲ましてください」
 と言うと、媼さんはこころよく迎えて、
「さあ、さあ、どうかお休みくださいまし」
 と、言って祝に腰をかけさし、静かに茶を汲んできたが、茶器も立派なうえに茶の色も良かった。祝はますます喜んで飲もうとしたが、みょうな匂いがして茶のようでないから飲まずに置いて、
「どうもありがとう」
 と、言って起って出ようとすると媼さんが止めた。
「どうか、すこしお待ちなすってください」
 と、言って媼さんはそれから内の方を見て、
「三|娘《じょう》、このお茶は、お客さんがお厭のようだから、其所にある好いお茶を汲んでいらっしゃい」
 すると台の後から少女が茶を捧げて持ってきた。それは年の頃十四五の綺麗な少女で指輪も腕釧《うでわ》も透きとおった影の映りそうな水晶であった。祝は少女の手から茶碗をもらって、うっとりとなって口のふちに持って往ったが、茶の匂いがひどく良いので一息に飲んで、
「どうか、もう一ぱい」
 と、言って二杯目の茶をもらったところで、媼さんが外へ出て往った。それを見て若い祝は少女の細そりした手を握ったが、少女が厭な顔もしないでその手の指輪の一つを脱《ぬ》いた。少女は頬を赧くしながらにっと笑った。祝の心は怪しくなってきた。
「あなたはどうした方です」
 と、聞くと少女は囁くように言った。
「晩にいらっしゃい、わたし此所にいるわ」
 祝は夜になってくることにして、同年の男の所へ往こうとしたが、非常に旨かった茶のことを思いだしてその葉をすこしもらって出かけ、そして、同年の男の家へ往ったところで気もちが悪くなった。祝は途中で飲んだ茶のためではないかと思って、同年の男にわけを話した。
「あぶない、そいつは水莽鬼だ、僕の親爺もそれで死んでるのだ、そいつはどうかしなくちゃならない」
 同年の男が顔の色を変えて驚いたので祝もふるえあがったが、念のために少女からもらってきた茶の葉を出して見せた。同年の男は一眼見て断言した。
「たしかに水莽草だ」
 祝はそこで指輪を出して少女の情状《さま》を話した。
「この指輪も貰ったのだが、鬼だろうか」
「待て、よ」
 と、同年の男はちょっと考えて、
「これは、きっと三娘だ」
 祝は媼《ばあ》さんが三娘と言って少女を呼んだことを思いだした。
「どうして、三娘ということが解ってるのだ」
「この南の村に、寇《こう》という富室《かねもち》があるのだ、三娘は其所の女だ、きりょうが良いので評判だったが、二三年前間違えて水莽草を食って死んだのだ、きっとこれが魅《わざ》をしているのだ」
 同年の男の傍にいる者が、鬼に祟られているものは、その鬼の家へ往って、鬼となった者が故《もと》つけていた襠《そでなし》をもらって、それを煎じて飲むと癒ると言った。同年の男は急いで南村の寇家《こうけ》へ往って、祝が水莽草を飲まされたわけを話して、三娘の襠をもらいたいと言ったが、寇の方ではそれによって女が生れ代ることができると思ったのでくれなかった。同年の男は怒って帰ってきて祝にそのことを話した。祝は歯ぎしりをして恨んだ。

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