「僕が死んだなら、あの女をどうしても生れ代ることのできないようにしてみせる」
 同年の男は祝を乗物に乗せて舁いで送って往ったが、家に往きつくと共に死んでしまった。祝の母は泣きながら葬式をすました。祝には一人の男の子があったが、児《こども》の母親は柏舟節《みさお》を守ることができないで、半年の後に児を置き去りにして他へ嫁入した。嫁に往かれた祝の母は孫の世話をしていたが苦しいので朝夕《あさばん》に泣いていた。一日《あるひ》例によって孫を抱いて泣いていると祝がしょんぼり入ってきた。母はひどく駭《おどろ》いて涙を押えて問うた。
「お前はなにしに来たの」
 すると祝が言った。
「私は、お母さんの泣声が聞えると苦しいから、お母さんの世話をしにきたのです、私は死んでますけれども、家内も出来てますから、それも同時《いっしょ》に伴れてきて、お母さんの苦労を分けさします、どうか安心してください」
 母はそこで聞いてみた。
「お前の家内というのは、どうした方かね」
「それは寇三娘です、寇の両親は、みすみす私を殺したから、私は三娘を生れ代らせないようにしようと、三娘のいる所を探していると、友達の庚伯《おじ》さんが教えてくれたので、往ってみると、三娘はもう任侍郎《にんじろう》の家の児に生れ代っていたのですが、無理に捉えて伴れてきたのです、それが今の私の家内ですが、二人の間は仲が良いのですから、のんきです」
 暫くして門の外から一人の女が入ってきた。見ると綺麗に化粧した美しい女であった。女は母に向ってお辞儀をした。祝は母に言った。
「これが三娘です」
 二人がそうして揃っているのを見ると生きた人ではないが、母の心は慰められるのであった。祝はそこで三娘に母の手助けをさした。三娘は富豪の女で家事のことをしたことがないので、手際《てぎわ》よく仕事をすることはできなかったが、気だてがよくて同情心に富んでいたから母は喜んだ。
 二人はそれから母の許にいた。三娘は母に言ってそのことを自分の家に知らさした。祝はそれを好まなかったが、母は三娘の言うとおり寇家へ知らした。寇家の両親はそれを聞くとひどく駭いて車に乗って駈けつけた。そして、逢ってみると確かに三娘であるから声が出なくなるまで泣いた。三娘はそれをなぐさめた。三娘の母親は祝の家の貧しいのを見て三娘をなおさら可哀そうに思った。
「私は生きていないから、貧し
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