そのうちに家の者の一人が裏の古井戸の傍から、お菊の履いていた草履を見つけて持って来た。主膳は結局|己《じぶん》の手で殺生しないですんだことを喜んで、公儀へはお菊が病死したことにして届け出た。
 哀れな女はそうして主膳の家から存在を消してそのままになったが、その年の五月になって奥方が男の子を生んだところが、右の中指が一本無かった。奥方はそれを見るとお菊の指のことを思い出して血があがった。そして、その夜からその産処《うぶや》の屋根の棟に夜よる女の声がした。また、古井戸の辺では、「一つ、二つ、三つ」と物を数える声がして、それが四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つまで往くと泣き声になった。その古井戸からは青い鬼火も出た。黒い長い髪をふり乱した痩《や》せた女の姿がその古井戸の上に浮いていたと云う者があった。
 主膳の家では恐れて諸寺諸山へ代参を立てて守札をもらって貼り、加持祈祷をし、また法印山伏の類を頼んで祈祷さしたが怪異は治まらなかった。そんなことで主膳は家事不取締と云うことで役儀を免ぜられて、親類へ永預となったので家は忽ち断絶し、邸《やしき》はとりこぼたれて草原となった。このお菊の霊は伝通院《
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