が三尺あまりの口を開け、紅《くれない》の舌を吐いて室《へや》の中一ぱいになっていた。法師は驚いて気絶したがとうとう死んでしまった。
豊雄が往ってみると美しい富子となっていた。豊雄は己《じぶん》のために人に迷惑をかけてはすまないから、己は怪しいものの往くところに従《つ》いて往くと云った。庄司はそれをとめて、小松原《こまつばら》の道成寺《どうじょうじ》へ往って法海和尚《ほうかいおしょう》に頼んだ。法海和尚は「今は老朽ちて、験《しるし》あるべくもおぼえ侍《はべ》らねど、君が家の災《わざわい》を黙《もだ》してやあらん」と云って芥子《けし》の香《か》のしみた袈裟《けさ》を執《と》りだして、「畜《かれ》をやすくすかしよせて、これをもて頭《かしら》に打被《うちかず》け、力を出して押しふせ給え、手弱《たよわ》くあらばおそらくは逃去らん」と云った。庄司は喜んで帰って、その袈裟をそっと豊雄にわたした。豊雄は富子の閨房へ往って隙《すき》を見て、袈裟を被《き》せ、力をきわめて押しふせた。そこへ法海和尚の轎《かご》が来た。和尚は何か念じながら豊雄を退《の》かして袈裟を除《と》ってみると、そこには富子がぐったりとなっている上に三尺ばかりの白い蛇がとぐろをまいていた。和尚はそれを捉えて弟子が捧げている鉄鉢《てつばち》に入れた後《あと》で、又念じていると屏風の背《うしろ》から一尺ばかりの小蛇《こへび》が這いだして来た。和尚はそれも捉えて鉄鉢にいっしょに入れ、彼《か》の袈裟を上からかけて封をし、それを携えて帰りかけたので、豊雄はじめ一家の者は掌《て》をあわせ涙を流して見送った。そして、寺に帰った和尚は、本堂の前を深く掘らせて、彼《か》の鉄鉢を埋めさし、永劫《えいごう》が間《あいだ》世に出ることを戒《いまし》めたのであった。
この『蛇性の婬』の話は、上田秋成《うえだあきなり》の『雨月物語《うげつものがたり》』の中でも最も傑出したものとせられているが、しかし、これは秋成の創作でなしに支那《しな》の伝説の翻案である。支那の杭州《こうしゅう》にある西湖《せいこ》の伝説を集めた『西湖佳話《せいこかわ》』の中にある『雷峰怪蹟《らいほうかいせき》』がその原話である。雷峰とは西湖の湖畔にある塔の名で、呉越王妃《ごえつおうひ》黄氏《こうし》の建立したものであるが、『雷峰怪蹟』では奇怪な因縁から出来たものとせられている。著者も嘗《かつ》て西湖に遊んで南岸の湖縁《こべり》に聳《そび》え立った五層の高い大きな塔の姿に驚かされた一人である。その西湖には南岸の雷峰塔《らいほうとう》に対して北岸に保叔塔《ほしゅくとう》と云うのがある。
雷峰怪蹟
宋《そう》の高宗帝《こうそうてい》が金《きん》の兵に追われて、揚子江《ようすこう》を渡って杭州に行幸《ぎょうこう》した際のことであった。杭州城内|過軍橋《かぐんきょう》の黒珠巷《こくじゅこう》と云う所に許宣《きょせん》という壮《わか》い男があったが、それは小さい時に両親を歿《な》くして、姐《あね》の縁づいている李仁《りじん》と云う官吏の許に世話になっていた。この李仁は南廊閣子庫《なんろうかくしこ》の幕事《ばくじ》であった。許宣はその李幕事の家にいて、日間《ひるま》は官巷《かんこう》で薬舗《くすりみせ》をやっている李幕事の弟の李将仕《りしょうし》と云う人の家へ往って、そこの主管《ばんとう》をしていた。
許宣はそのとき二十二であった。きゃしゃな※[#「女+朱」、第3水準1−15−80]《きれい》な顔をした、どこか貴公子然たるところのある男であった。それは清明の節に当る日のことであった。許宣は保叔塔寺《ほしゅくとうじ》へ往って焼香しようと思って、宵に姐に相談して、朝はやく起きて紙の馬、抹香《まっこう》、赤い蝋燭《ろうそく》、経幡《はた》、馬蹄銀《ばていぎん》の形をした紙の銭などを買い調《ととの》え、飯を喫《く》い、新らしく仕立てた衣服《きもの》を着、鞋《くつ》も佳《よ》いのを穿《は》いて、官巷の舗へ往って李将仕に逢《あ》った。
「今日、保叔塔へお詣《まい》りしたいと思います、一日だけお暇をいただきとうございますが」
清明の日には祖先の墓へ行って祖先の冥福《めいふく》を祈るのが土地の習慣であるし、両親の無い許宣が寺へ往くことはもっとものことであるから、李将仕は機嫌好く承知した。
「いいとも、往ってくるがいい、往ってお出《い》で」
そこで許宣は舗を出て、銭塘門《せんとうもん》のほうへと往った。初夏のような輝《かがやき》の強い陽《ひ》の照る日で、仏寺に往き墓参に往く男女が街路に溢《あふ》れていた。その人々の中には輿《よ》に乗る者もあれば、轎《きょう》に乗る者もあり、また馬や驢《ろば》に乗る者もあり、舟で往く者もあった。
許宣は銭塘門を出て、石函橋《せきかんきょう》を過ぎ、一条路《ひとすじみち》を保叔塔の聳《そび》えている宝石山《ほうせきざん》へのぼって寺へと往ったが、寺は焼香の人で賑《にぎ》わっていた。許宣も本堂の前で香を燻《くゆ》らし、紙馬紙銭《しばしせん》を焼き、赤い蝋燭《ろうそく》に灯を点《とも》しなどして両親の冥福を祈った。そして、寺の本堂へ往き、客堂へあがって斎《とき》を喫《く》い、寺への布施もすんだので山をおりた。
山の麓《ふもと》に四聖観《しせいかん》と云う堂があった。許宣がその四聖観へまでおりた時、急に陽の光がかすれて四辺《あたり》がくすんで来た。許宣はおやと思って眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》った。西湖の西北の空に鼠《ねずみ》色の雲が出て、それが陽の光を遮《さえぎ》っていた。東南の湖縁の雷峰塔のあるあたりには霧がかかって、その霧の中に塔が浮んだようになっていた。その霧はまた東に流れて蘇堤《そてい》をぼかしていた。眼の下の孤山《こざん》は燻銀《いぶしぎん》のくすんだ線を見せていた。どうも雨らしいぞ、と思う間もなく、もう小さな雨粒がぽつぽつと落ちて来た。許宣は四聖観の簷下《のきした》に往って立っていたが、雨は次第に濃くなって来て、雨隙《あめすき》が来そうにも思われなかった。空には微墨《うすずみ》色をした雲が一めんにゆきわたっていた。許宣はしかたなしに鞋《くつ》を脱ぎ襪《くつした》も除《と》ってそれをいっしょに縛って腰に著《つ》け、赤脚《はだし》になって四聖観の簷下を離れて湖縁へと走った。
許宣はそこから舟を雇《やと》うて湧金門《ゆうきんもん》へまで帰るつもりであった。不意の雨に驚いて濡《ぬ》れながら逃げ走っている人の姿が、黒い点になってそこここに見えた。湖のなかにも小舟が右に左にあたふたと動いていた。それは皆俗に杭州舟《こうしゅうぶね》と云っている苫《とま》を屋根にした小舟であった。その小舟の中に舳《へさき》を東の方へ向けて老人が艫《ろ》を漕いでいる舟があって、それがすぐ眼の前を通りすぎようとした。許宣はどの舟でもいいから近い舟を呼ぼうと思って、その舟に声をかけようとしたところで、どうもその船頭に見覚えがあるようだから竹子笠《たけのこがさ》を冠っている顔に注意した。それは張河公《ちょうかこう》と云う知己《しりあい》の老人であった。許宣はうれしくてたまらなかった。
「張さん、張さん、おい張さん」
許宣の声が聞えたとみえて、船頭は顔をあげて陸《おか》のほうを見た。
「おれだ、おれだ、張さん、湧金門まで乗っけてくれないか」
船頭は許宣を見つけた。
「ほれ、主管《ばんとう》さん……」
船頭は驚いたように云って艫をぐいと控えて、舳を陸にして一押し押した。と、舟はすぐ楊柳《ようりゅう》の浅緑の葉の煙《けむ》って見える水際の沙《すな》にじゃりじゃりと音をさした。許宣は水際へ走りおりた。
「気の毒だが、湧金門までやっておくれ、保叔塔へ焼香に往ってて雨を喫《く》ったところだ」
「そいつは大変でしたね、早くお乗んなさい、わっしも湧金門へいくところじゃ」
「そうか、そいつはちょうど宜《よ》い、乗っけてもらおう」
許宣は急いで足を洗って舟へ乗った。船頭は水棹《みずさお》を張って舟を出し、舳を東へ向けて艫を立てた。
「もし、もし、船頭さん、すみませんが、乗せてってくださいまし」
ふくらみのある女の声がするので許宣は苫の隙から陸のほうを見た。背のすらりとした※[#「女+朱」、第3水準1−15−80]《きれい》な女が青い上衣《うわぎ》を着た小婢《じょちゅう》に小さな包を持たせて雨に濡れて立っていた。
「張さん、乗っけてやろうじゃないか、困ってるじゃないか」
「そうですな、ついでだ、乗っけてやりましょうや」
船頭はまた舟を陸へやった。絹糸のような小雨の舳に降るのが見えた。
「どうもすみません、俄《にわか》に雨になったものですから……」
艶《なまめ》かしい声がして女達は舟へあがって来た。そして、※[#「女+朱」、第3水準1−15−80]な女の顔がもう苫屋根の下にくっきりと見えた。
「どうもすみません、お邪魔をさせていただきます」
女はおちついた物越しであいさつをした。許宣はきまりがわるかった。彼はあわてて女のあいさつに答えながら体を後《うしろ》の方へのけた。
「さあ、どうぞ」
女はそのまま入って来てその膝頭《ひざがしら》に喰《くっ》つくようにして坐った。女の体に塗った香料の匂《におい》がほんのりとした。許宣は眩《まぶ》しいので眼を伏せていたが、女の顔をはっきりと見たいと云う好奇心があるのでそろそろと眼をあげた。黒い潤《うる》みのある女の眼がじっと己《じぶん》の方を見ているのにぶつかった。許宣はあわててまた眼をそらした。
「あなたは、どっちにお住居でございます」
女は執着を持ったような詞《ことば》で云った。許宣のきまりのわるい思いはやや薄らいで来た。
「過軍橋の黒珠巷《こくじゅこう》です。許と云う姓で、名は宣と云います、あなたは」
「私は、白《はく》と申します、私の家は白三班《はくさんぱん》で、私は白直殿《はくちょくでん》の妹で張《ちょう》と云う家へ嫁《かたづ》いておりましたが、主人が歿くなりましたので、今日はその墓参をいたしましたが、こんな雨になって、困っているところを、お蔭さまでたすかりました」
「そうでしたか、私も両親を早く歿くしておりますので、今日は保叔塔寺へ往ったところで、この雨で、困って湧金門まで舟を雇おうと思って、来て見ると知己の舟がいたので乗ったところでした、ちょうど宜《よろ》しゅうございました」
舟は府城《ふじょう》の城壁に沿うて南へ南へと往った。絹糸のような雨が絶えず苫屋根の外にあった。
「家を出る時は、好いお天気でしたから、雨のことなんかちょっとも思わなかったものですから、困ってしまいました、ほんとに有難うございました」
小婢が主人の横脇でもそもそと体を動かす気配がした。
「私も姐《あね》の家に世話になって、日間《ひるま》は親類の薬舗へ勤めておりますので、暇をもらって、やっぱり雨のことは考えずに、来たものですから、ひどい目に逢いました、皆、今日は困ったでしょうよ」
許宣は気もちをいじけさせずに女と話すことができた。
舟はもう湧金門の外へ来ていた。小さな白い雨は依然として降っていた。女は何か思いだしたように己の体のまわりをじっと見た後《のち》に、小婢の耳に口を着けて小声で囁《ささや》いて困ったような顔をした。と、小婢の眼元が笑って女に囁きかえした。それでも女は困ったような顔をしていた。
「あのね、なんですが」
小婢の顔がこっちを見た。許宣は何事だろうと思った。
「今朝、家を出る時に、急いだものですから、おあしを忘れてまいりました、誠に恐れ入りますが、どうか船賃を拝借させていただきとうございますが、家へ帰りましたなら、すぐお返しいたしますが」
「そんなことは宜いのですよ、私が払いますから」
舟はもう水際へ着いていた。女はきまりわるそうにもじもじしていた。
「さあ、舟が着きました、あがりましょう」
許宣は腰につけた銭袋から幾等《いくら》かの銭を執《と》って舟の
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