。許宣の引返そうとする顔を説経していた和尚がちらと見た。
「あの眼に妖気がある、あれを呼べ」
侍者の一人が呼びに往ったが、許宣はもう山をおりかけていたので聞えなかった。すると和尚はいきなり禅杖《ぜんじょう》を持ってたちあがるなり、許宣を追っかけて往った。
山の麓《ふもと》では大風が起って波が出たので、参詣人は舟に乗ることができずに困っていた。山をおりた許宣もその人びとに交って岸に立って風の静まるのを待っていた。と、一艘《いっそう》の小舟がその風の中を平気で乗切って来て陸《おか》へ着けかけた。許宣は神業のような舟だと思って、ふいと見ると、その中に白娘子と小婢《じょちゅう》の二人が顔を見せていた。その白娘子と許宣の眼が合った。
「あなた、早くお乗りなさい、風が吹きだしたから、あなたをお迎いに来たのです」
舟は同時に陸へ着いた。許宣は喜んで水際へおりた。許宣の後には許宣を追っかけて来た和尚がいた。
「この※[#「薛/子」、第3水準1−47−55]畜《ちくしょう》ここへ来やがって何をしようと云うのだ」
和尚は舟の中を見て怒鳴りながら禅杖を揮《ふ》りあげた。と、白娘子と小婢はそのまま水の中へもんどり打って飛び込んでしまった。許宣はびっくりして眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》った。そうして許宣は夢が覚めたようになった。
「あの和尚さんは、なんと云う和尚さんでしょう」
許宣は気が注いて傍の人に訊いた。
「あれが、法海禅師《ほうかいぜんし》様だ、活仏《いきぼとけ》だ」
和尚の侍者が許宣を呼びに来た。許宣は伴れられて和尚の前へ往った。
「お前さんは、あの女達とどこであわしゃった」
許宣はそこではじめからのことを話した。和尚はそれを聞いて云った。
「宿縁だ、しかし、お前さんの慾念《よくねん》が深いからだ、だが、災難はもうすぎたらしい、これから杭州に帰って、修身立命の人にならなくてはいけない、もし再びこんなことがあったら、湖南《こなん》の浄慈寺《じょうじじ》に来てわしを尋ねるが宜い、今、わしが偈《げ》を云って置くから、覚えているが宜い、本《もと》これ妖蛇《ようじゃ》婦人に変ず、西湖《せいこ》岸上《がんじょう》婦身《ふみ》を売る、汝《なんじ》慾《よく》重きに因《よ》って他計《たけい》に遭《あ》う、難《なん》有れば湖南《こなん》老僧を見よ、宜いかね、この偈
前へ
次へ
全33ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング