、早く帰っていらっしゃい」
 そこで許宣は承天寺へ往った。寺の境内には演劇などもかかって賑わっていた。許宣は参詣人の人波の中にもまれてあちらこちらしていたが、そのうちに周将仕《しゅうしょうし》家の典庫《しちぐら》の中へ賊が入って、金銀珠玉衣服の類が盗まれたと云う噂がきれぎれに聞えて来たが、己《じぶん》に関係のないことであるからべつに気にも止めなかった。
「もし、もし、ちょっとその扇子を見せてください」
 許宣と擦《す》れ違おうとした男がふと立ちどまると共に、許宣の扇子を持った手を掴《つか》んだ。許宣はびっくりしてその男の顔を見た。男は扇子と扇子につけた珊瑚の墜児をじっと見てから叫んだ。
「盗人、盗人をつかまえたから、皆来てくれ」
 許宣はびっくりして弁解《いいわけ》しようとしたがその隙《ひま》がなかった。彼の体にはもう縄がひしひしと喰いついて来た。彼はその場から府庁に曳かれて往った。
「その方の衣服と扇子は、それで判っておるが、その余《あまり》の贓物《ぞうぶつ》は、どこへ隠してある、早く云え、云わなければ、拷問《ごうもん》にかけるぞ」
 許宣は周将仕家の典庫の盗賊にせられていた。
「私の着ている衣服も、持っている扇子も、皆家内がくれたもので、決して盗んだものではありません」
 府尹《ふいん》は怒って叱《しか》った。
「詐《いつわ》りを云うな、そのほうがいくら詐っても、その衣服と扇子が確な証拠だ、それでも家内がくれたと云うなら、家内を伴れてくる、どこにおる」
「家内は吉利橋の王主人の家におります」
「よし、そうか」
 府尹は捕卒に許宣を引き立てさせて王主人の家へ往かした。家にいた王主人は、許宣が捕卒に引き立てられて入って来たのを見てびっくりした。
「どうしたと云うのです」
「あの女にひどい目に逢わされたのです、今、家におりましょうか」
 許宣は声を顫《ふる》わして怒った。
「奥様は、あなたの帰りがおそいと云って、婢《じょちゅう》さんと二人で、承天寺の方へ探しに往ったのですよ」
 捕卒は白娘子の代りに王主人を縛って許宣といっしょに府庁へ伴れて往った。堂の上には府尹が捕卒の帰るのを待っていた。府尹は白娘子を捕えて来た後で裁判をくだすことにした。府尹の傍には周将仕が来てその将来《なりゆき》を見ていた。
 そこへ周将仕の家の者がやって来た。それは盗まれたと思っていた金銀珠玉衣
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