小婢はそう云ってから内へ入って往った。許宣は小婢が白娘子を呼びに往ったことを知ったので嬉しかった。彼は白娘子の声が聞えはしないかと思って耳を傾けた。
人の気配がして小婢が引返して来た。小婢の後から白娘子の顔が見えた。
「さあ、どうぞ、お入りくださいまし、もしかすると、今日いらしてくださるかも判らないと思って、朝からお待ちしておりました」
「今日はもうここで失礼します、毎日お邪魔をしてはすみませんから」
「私の方は、毎日遊んでおりますから、お客さんがいらしてくださると、ほんとに嬉しいのですわ、お急ぎでなけりゃ、お入りくださいましよ」
「私もべつに用事はありませんが、毎日お邪魔をしてはすみませんから」
「御用がなけりゃ、どうかお入りくださいまし、さあ、どうか」
許宣はきまりわるい思いをせずに、白娘子に随いて昨日の室へ往くことができた。室へ入って白娘子と向き合って坐ったところで小婢がもう酒と肴《さかな》を持って来た。
「もうどうぞ、一本の破傘《やぶれがさ》のために、毎日そんなことをしていただいては、すみません、今日はすぐ帰りますから、傘が返っているならいただきます」
許宣はなんぼなんでも一本の傘のことで二日も御馳走になることはできないと思った。
「まあ、どうか、何もありませんが、召しあがってくださいまし、お話ししたいこともございますから」
白娘子はそう云って心持ち顔をあからめた。それは夢に見た白娘子の艶《なまめ》かしい顔であった。許宣は卓《つくえ》の上に眼を落した。
「さあ、おあがりくださいまし、私もいただきます」
白娘子の声について許宣は盃《さかずき》を口のふちへ持っていったが、その味は判らなかった。許宣はそうして己の顔のほてりを感じた。
「さあ、どうぞ」
許宣は白娘子の云うなりに盃を手にしていたが、ふと気が注《つ》くとひどく長座をしたように思いだした。
「何かお話が、……あまり長居をしましたから」
「お話ししたいことがありますわ、では、もう一杯いただいてくださいまし、それでないと申しあげにくうございますから」
白娘子はそう云って許宣の眼に己《じぶん》の眼を持って来た。それは白いぬめぬめするかがやきを持った眼であった。許宣はきまりがわるいので盃を持ってそれをまぎらした。と、香気そのもののような女の体がそこに来てぴったりと触れた。
「神の前でお話しすることで
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