主人は寄って来る人びとの手を払い除けて、
「あれ、あれ、あれ」と、云って室の中をのたうって廻った。
 人びとの顔には恐怖がのぼっていた。主人は仰向けになったり俯向けになったりして悶掻《もが》き苦しんだ。
「あれ、あれ、あれ、あれ」

 そして、やっと悶掻をやめた主人を寝床に入れた隣家の者は、家内の者に別れを告げて庭におりたが、主人の怪異を見て恐れているので何人《だれ》も蛇のことを口にする者はなかった。
 戸外《そと》は真黒《まっくら》で星の光さえなかった。皆黙々として寄り添うて歩いていたが、皆の眼は云いあわしたように庭前の竹にかけた蛇の皮の方へ往った。
 不意に庭の樹の枝に風の吹く音が聞えた。人びとは恐れて中には眼をつむる者もあった。風ははらはらと人びとの衣《きもの》の裾を吹きかえした。
 この時蛇の皮をかけてある処が急にうっすらと明るくなって、朧の月の光が射したように見えたが、やがて真紅な二条の蛇の舌のような炎がきらきらと光った。と、その光がめらめらと燃え拡がって、蛇の皮がはっきりと見える間もなく、それが全身火になってふうわりと空に浮び、雲のように飛んで篠原家の屋根に往った。人びとは
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