をあっちこっちと覗いていた。

 私は帰りに吾妻橋の袂から荷足船で兵士に渡してもらって、浅草公園へと廻った。公園では浅草寺と観音堂とが残っていた。その観音堂は銀杏《いちょう》の緑葉に取り囲まれて涼しい風を宿していた。花屋敷の焼け跡には一疋の猿が金網の中にきょとんとしており、十二階は地震のために上の三階が堕ちて九階になっていた。この十二階の建物は半カ月ばかりの後に爆薬で破壊してしまった。
 私は公園の山のベンチに腰をかけて、上野の山を眼界にして左右にひろびろと広がった白い焼野原を見ながら、花屋敷の前で買って来た梨の実を噛《かじ》った。鼻のどこかにまだ死体の厭な匂いが残っているような気がした。



底本:「貢太郎見聞録」中公文庫、中央公論社
   1982(昭和57)年6月10日発行
底本の親本:「貢太郎見聞録」大阪毎日新聞社・東京日日新聞社
   1926(大正15年)12月
※「それぞれ鼻にハンカチを」の「それぞれ」は底本では「それそれ」でしたが、親本を参照して直しました。
入力:鈴木厚司
校正:多羅尾伴内
2003年8月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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