ということを聞いていたので、私はさほどに驚かなかった。
国技館の外形は整然として両国の空を圧して、火災に逢ったとは思われないほどであった。私は橋を渡って電車の線路を往こうとしたが、橋の袂から河岸の方へ往く人もあるので、その方から自転車を押して来た店員のような若い男に、被服廠跡への路を聞いてみた。若い男はどっちから往っても好いと言った。私は河岸の方へ曲って往った。河岸には仮小屋を並べてたくさんの者が避難していた。
右の方には両国の汽車の線路が、焼け跡の灰の中に浮いて連なっていた。それは鉄骨かなんぞのように焦げて黒くなっていた。河縁に電気の機具でも製造していると思われるような一廓をつくった建物が、不思議に焼け残っていた。それと向きあって路の右側に石の門と土塀の一部が残り、街路に面して二三本の半焼けになった鈴懸の樹のある所があって、その門の敷石の上に、右の手と頭に繃帯をしたシャツに腹掛けの運漕屋の親方らしい男が腰をおろしていた。私も暑くて苦しいので、そこですこし休むつもりで、その門口の石橋の縁《へり》になった石の上に腰をおろした。私はビンの水を飲んだ後で、煙草を点《つ》けて喫《の》みなが
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