た。そして、ある城郭《まち》へいったが、そこは帝王のいる都のようであった。
しばらくして宋公は、唯《と》ある役所へいった。そこは壮麗な宮殿で、上に十人あまりの役人がいたが、何人ということは解らなかった。ただその中の関帝《かんてい》の関羽《かんう》だけは知ることができた。
簷《のき》の下に二組の几《つくえ》と腰掛を設けて、その一方の几には一人の秀才が腰をかけていた。そこで宋公もその一方の几にいって秀才と肩を並べて腰をかけた。几の上にはそれぞれ筆と紙とが置いてあった。
と、俄《にわか》に試験の題を書いた紙がひらひらと飛んで来た。見ると「一人二人、有[#レ]心無[#レ]心」という八字が書いてあった。そこで二人はそれぞれ、その題によって文章を作って殿上へさしだした。宋公の書いた文章の中には「心有りて善を為《な》す、善と雖《いえど》も賞せず。心無くして悪を為す、悪と雖も罰せず」という句があった。殿上にいた諸神はそれを見て褒《ほ》めあった。
そこで宋公は殿上に呼ばれて、
「河南《かなん》の方に城の隍《ほり》の神が欠けている。その方がこの職に適任であるから、赴任《ふにん》するがいい。」
と
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